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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 1
師走に入り、巷間(ちまた)は新しい年に向けて今年の汚れを落としたり、溜まった勘定を支払うために東奔西走したりと、忙しくなった。
満徳寺も多分に漏れず、普段でも忙しいのに、この時期が事の外忙しくなる。
特に、3年に一度の厄介な仕事が回ってきた。
院主による、将軍さまへの年頭の拝謁である。
満徳寺が将軍家の御位牌を安置する格式上、これは避けて通れない重要な行事であった。
「これがなかなか気を使う行事でしてね、何せ、厳かな行事ですので、少しでも間違えると大変で」
と、今回の差配に決まった磯野新兵衛が、眉を顰めながら言った。
立木宋左衛門は、もうすぐお役御免の身である。惣太郎は見習いなので、論外。となると、中村清次郎か、新兵衛が担当することになるのだが、父は真面目で仕事のできる清次郎ではなく、仕事は普通にできるが、少しお調子者の新兵衛をお役に指名した。
そして惣太郎に、勉強がてら彼の補佐に入れと命令した。
「なぜ、中村さまではなく、磯野さまなのですか」
惣太郎は、父と2人っきりになったとき、訊いてみた。先の一件がまだ響いているのだろうか。
「いやいや、あの一件とは関係はない。それに、謹慎はもう解いた」
とてもではないが、ひとりがお役を休むと仕事が回らなくなるのが、寺役である。
父は、清次郎を3日の謹慎としただけだった。
「では、他に理由(わけ)があるのですか」
「なんというか……、こういのは色々手がいってな」
そう言って宋左衛門は、自分の袂に手を入れ、揺さぶって見せる。
意味が分からず、惣太郎は首を傾げた。
「つまりだ、こういう事を速やかに実行するには、それなりのところに、それなりのお礼というか、事前の根回しが必要なわけだ」
〝袖の下〟というわけである。
「お礼なら、拝謁後に関係各所に配ると、磯野さまから聞きましたが」
「それはそれで配るが、その前にも心配りをしておくと、物事というものは、何事も上手くいくものだ」
つまり、お礼の二重取りか。何と、侍とは強欲なものだ。
「そういう心配りは大切だぞ。どこかの藩主ではないが、鰹節を送ったばっかりに散々苛められて、刃傷沙汰におよび、お取り潰しなんてあるからな」
いったいいつの話だ。だいたい、あれは歌舞伎の作り話ではないのか。
「確かに、中村殿は真面目だし、仕事もできるし、気もきく。彼に任せておけば、間違いないだろう。が、真面目すぎて、そういうことを嫌う」
父は、袖を振る。
「一方の磯野殿は、仕事はまあまあだし、たまに失敗もするし、調子に乗りすぎところも多々ある。が、こういう件に関しては目鼻が利くし、なぜか受けもいい」
「御手洗さまには、嫌われているようですが」
「いやいや、あれはあれで、結構仲が良いのだろう。御手洗さまは、ほら、あの通りの方だから、寺社方のなかでも敬遠されておって、なかなか付き合いがないそうだが、磯野殿は酒など飲みに誘うからな。御手洗さまも、あれでなかなか気を許しておるのだよ」
これは意外である。
「兎も角、磯野殿はそういうところに長けておるので、お前も色々と教えてもらえ。これからの人生、役人として生きていくなら、そういうことも知っておかねば仕事も捗らんからな。賄賂など許されぬ、などと言って潔癖なことを言ってられるのも、若いときまでだ」
それは、年寄りのただの言い訳じゃないのかと、惣太郎は思った。