【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 15
大伴安麻呂は、彼の叔父である大伴馬来田連(おおとものまくたのむらじ)が乗る馬を引いていた。
流石に2月にもなると陽気も良く、散歩にはもってこいであった。
「こう天気が良いと、気分が良いですね、叔父上」
「うむ、屋敷に籠もりっきりだと、体も鈍るからな」
大伴家は、宮中では閑職に追いやられていた。
群臣会議の中に一応席はあるのだが、末席のため、この一族に発言権はない。
そのため最近では、大伴の人間が宮内に出入りすることもなく、彼らは一日中、屋敷に籠もるという生活を送っていたのだ。
「しかし、鎌子兄さんが酒宴を催すなんて珍しいですね」
「重要な話があると言っていたが、何であろうか?」
「もしかして、新しい官職を頂けるのかも知れませんよ」
「それは如何かな? あの中大兄がいては、鎌子も勝手な動きはできまい」
「叔父上、その中大兄の屋敷前ですよ」
二人の目の前には、門構えの立派な屋敷が、将に牽制を誇るが如く立っている。
「おや、誰でしょう、あれは?」
その畏怖堂々といた門から出て来た貴人が、従者を引き連れてこちらに歩いて来た。
見たところ、百済服だ。
「確かあれは、百済の鬼室集斯(きしつしゅうし)殿だが」
集斯は二人に気付き、軽く会釈をして通り過ぎて行く。
安麻呂は後ろを振り返って、彼を見送った。
「何でしょう?」
「どうせ、百済亡命人の処遇の改善の要求だろう。中大兄は、百済には良いように使われているからな」
白村江の戦い以後、百済亡命人の対応が大きな問題となっていた。
白村江の脱出作戦で逃げて来た百済人だけで四百人近くはいる。
それ以降も、五月雨式に亡命人が増えてきているので、飛鳥だけでは管理し切れなくなってきているのだ。
国が管理し切れなければ、秩序が乱れる。
秩序が乱れれば、治安が低下する。
治安が低下すれば、犯罪が起こる。
犯罪が起こると、さらに治安が悪化し……で、百済亡命人の居留区は悪循環を起こしていた。
加えて、文化の違いや治安悪化を懸念して、在郷周辺住民との確執が生じていた。
「そうなのですか? でもなぜ?」
「先の百済支援も、在倭百済人からの要請を受けたものだし、ご自分の息子には百済亡命者を師に付けているしな。どうも中大兄は、この国を百済化しようと思っているのではないかと思えるのだが」
「まさか! 流石の中大兄も、そこまではしないでしょう」
「だと良いがな。おっと、こうしてはおれん。安麻呂、急ぐぞ!」
馬来田はそう言うと、馬の腹をぽんと蹴って速度を上げた。
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
安麻呂は、慌ててその後ろに付いて行った。
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