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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 78

 しばらくの沈黙あと、徐に信長が口を開いた。
「仮に………………、弾正(松永久秀)が南都を焼き討ちにした、今度は我が北嶺を焼けば、王城鎮護は如何になろうか?」
 王都だけでなく、本朝までも滅びるでしょう、と。
 信長は目を瞑り、静かに長い息を吐いた。
「左様か………………」、目を開け、しばし考えたあと、「左衛門尉(丹羽長秀:にわ・ながひで)は如何に?」
 訊かれた武将は、一礼したあと、口を開いた。
「太若丸殿の申すところは、いちいちもっともかと存じます。確かに、この度の御山の一件は看過できぬところではございますが、王都鎮護の寺を灰燼にするは、内裏だけでなく、本朝の滅亡を招くでしょう。やはりここは、焼き討ちは控えるべきかと存じます」
「うむ……、修理(柴田勝家)は如何に思う?」
「謹んで言上仕る。拙者も、左衛門尉殿と同じござる。が、このままでは我らも引き下がれませぬ。御山から、この件の首謀者の首を数名持って、鉾を納めるべきかと」
 信長は頷く。
「右衛門尉(佐久間信盛:さくま・もりのぶ)、そなたはどうじゃ?」
「やはり御山は京の守護の要、これを倒すは、内裏を敵に回すも同じかと。現に、当代座主は帝の弟君、これを焼き払えば、帝もお悲しみ遊ばしましょうぞ。ここは御山に対し、殿の広い御心を持って接すれば、以後叡山も我らに味方してくれましょう」
 他の武将も頷く。
「広い心か……」
「御意、さすれば殿は、大いなる武将として、後世に名を遺すこととなりましょうぞ」
「後世にか……」、信長は不敵に笑う、「猿はどうか?」
 猿と呼ばれた武将は、
「殿の仰せのままに」
 と、言い切った。
 ふんと笑い、「相変わらずな奴だ」
 猿と呼ばれた男は、人好きするような笑顔でぺこぺこと頭を下げた。
「それでは、十兵衛、そなたは如何に?」
 太若丸は、ちらりと十兵衛を見る。
 彼は深々と頭を下げ、
「恐れながら申しあげます。御山は、王城を鎮護しているとはまやかしにございます。御山は山法師を持って、日吉大社の神輿を使って強訴するなど、帝はおろか、公方様に対しても目に余る振る舞いをする始末。王都を守るどころか、王を脅かす存在でございます。その御山を焼き払って、何の問題がございましょや? また僧たちの日ごろの振る舞いも目に余るものがあり、仏に反しているのはどちらでございましょうや? 先の浅井・朝倉を匿ったことも、もとはと言えば、浅井・朝倉は公方様に弓を引く逆賊、それを匿うは、公方様に弓を引くも同じでございます。我らが、公方様の名のもと御山を罰するのでございます」
 それは違うと、太若丸は口にした。
 御山は、たとえ室町殿に弓を引く者といえども、仏のもとではみな平等、仏の御心を頼ってきた者を追い出すは、仏に背くこと、ゆえにこれらを守らねばなりませぬ、我らはそれを守ったまでで、それを問われるは、御山の何たるかをお分かりになってはおらぬ、と太若丸はいささか強い口調で反論した。
 それには、信長をはじめ他の武将も驚いていた。
 太若丸も、なぜこんなにムキになるのか分からなかった、愛しい十兵衛相手なのに………………
 一方の十兵衛は、顔色一つ変えずにいる。
「ならば御山は、罪人を匿う、咎人の巣窟でございます。そんな御山が、王城鎮護など笑止千万! 太若丸殿は先程、このような末法の世になったのは、王都を守るべき我らの欲のためと申されたが、それこそ本末転倒、御山の乱れこそが末法の世を創り出し、それを殿が本来あるべき世にするために働かれておられるのです。末法の根源である御山こそ、咎人ともども焼き払う必要がございましょう。また、その御山の不埒な教えを受けたこのような稚児を含め、それに関わった女子どもともどもなで斬りにすべきであります、それが内裏はもとより、本朝鎮護の要となるのでございます。殿こそ、王城の守護者なのでございます」
 十兵衛が言い終ると、信長は深いため息を吐き、天井を見上げた。
 太若丸は、十兵衛を睨みつける。
 十兵衛は視線を合わせず、信長の決断を待っている。
 しばしあと、
「叡山の差配は………………」、信長は、その男を見て言った、「十兵衛に任せる!」
 十兵衛だけでなく、他の武将たちも頭を下げ、早々に出て行った。
「悪く思われるな、太若丸殿。これも、世の道理だ。これより叡山は戦になろう、そなたはここに残られよ」
 お堂から出ていく信長に、太若丸は頭を下げ、見送った。

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