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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 2

 大伴氏の不遇の時代にあって、全く我関せずといった青年がいた。

 大伴安麻呂連(おおとものやすまろのむらじ)である。

 安麻呂は長徳の六男で、最近巨勢人臣(こせのひとのおみ)の娘の巨勢郎女(こせのいらつめ)を妻に迎えたばかりである。

 しかも、郎女は3ヶ月の身重の体であった。

 その彼が中臣鎌子(なかとみのかまこ)の屋敷の門を潜ったのは、鎌子の正妻である鏡姫王(かがみのおおきみ)から、子供服や襁褓が余っているので、必要なら取りに来るようにと言われたからである。

 鎌子の母は長徳の妹であったので、安麻呂と鎌子は従弟同士にあたり、幼少期には良く鎌子に遊んでもらっていた。

「鏡様、鏡様、安麻呂です! 子供服や襁褓、頂きに参りました」

 その声に顔を覗かせたのは、六歳になったばかりの中臣史(なかとみのふひと)である。

「あっ、安麻呂兄さん、上がって! お母様、安麻呂兄さんが来ましたよ!」

 史の声は、屋敷中に響き渡る。

「おう、相変わらず史は元気だな」

 安麻呂はそう言って史の頭を撫でて、鏡姫王の部屋へと入って行った。

 部屋には、鏡姫王と額田姫王(ぬかたのおおきみ)が数枚の木簡を前に談笑していた。

「これは、これは、額田様。ははは、お恥ずかしいところを」

 安麻呂は頭を掻いた。

「いらっしゃい、安麻呂殿。準備してあるから、ちょっとそこに座って待ってて」

 鏡姫王は、奥の部屋へと入って行った。

「郎女様のお体の調子は如何ですか?」

 額田姫王は、安麻呂に椅子を勧めながら訊いた。

「はあ、悪阻が酷いようで」

「そうですか、それは大変ですわね。私も十市の時、とても酷かったですから分かりますわ」

「いや~、こればっかりは男の私に分かりませんからね。今日も朝から酷かったので、色々と優しい言葉を掛けるのですが、言葉だけだとか、男には分からないとか言って、もう機嫌が悪くて」

「大丈夫、あと一ヶ月もすれば治まりますわよ」

「それなら良いのですが。ところで、歌を詠まれていたのですか?」

 安麻呂は、机の上に置かれた一枚の木簡を取り上げた。

「いいえ、姉が集めている歌を引っ張り出しては、批評していたのよ」

「へえ、鏡様、歌を集めていらっしゃるのですか? 凄いな」

「まだ、奥にも沢山あるわよ」

「それは是非とも拝見したいですね」

 奥から、数枚の衣装を手にした鏡姫王が出て来た。

「史の使い古しなのだけど、まだ使えるからと取って置いたのよ」

「いや、助かります。やっぱり中臣家、いい生地を使っていますね」

「でも、大伴家や巨勢家から新しいのを頂くのでしょう?」

「いえ、こういうのは沢山あればあるほど良いのですよ」

「それは良かったわ。後で、従者に屋敷まで届けさせますので」

「ありがとうございます」

 安麻呂は、鏡姫王が注いだ酒を、くいっと空けた。

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