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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 9
呼状の効果は覿面である。
3日後には、
「おけいの父親と村役が宿についたそうです。いま、三田屋が知らせてきました」
と、嘉平が伝えた。
三田屋とは、満徳寺の近くにある宿屋だ。
宿屋といっても、普段は百姓をしていて、駆け込み女の関係者が寺に来たとき、臨時で宿を貸している。満徳寺の周囲には、そういった百姓兼宿屋が4、5軒ある。
復縁になるにしろ、離縁になるにしろ、この間の滞在費は、すべて女持ちになるのだから、女の親としては大変な出費になる。
「それだけじゃありあませんよ」、新兵衛は十露盤(そろばん)の玉を弾く、「お茶代や、字が書けないのなら代書代、それと夫の方との内々にやり取りするときの飛脚代、夫への趣意金(慰謝料)でしょう。内済で縁切りできればいいですが、〝お声掛り〟なんてことになって揉めたら、御府内滞在中の費用一切合財ですから……、ざっとこんなものでしょうか」
十露盤に示された金額を見て、惣太郎はうっと咽喉が詰まってしまった。
「あとここに、お礼代なんてのも入ります」
「お礼代といいますと」
「御院さまや御隠居さま、それから私ども役人、嘉平など、お世話をおかけしましたということです」
なるほど、離縁するのにも相当の金がかかるということか。
「まだありますよ。入山縁切りとなれば、扶持料がいります。この寺では、おおよそ六両ほどです」
「六両」、思わず声が裏返ってしまった、「そんなにも」
「地獄の沙汰も何とか次第じゃありませんが、世の中これですから」
新兵衛は親指と人差し指で丸を作って見せる。
それを見た清次郎は、露骨に嫌な顔をする。
「良い縁組をするのも金次第ですが、離縁するにも金次第です。だから、簡単には離縁できないってことですよ。この前なんか……」
夫の素行の悪さに駆けてきた女がいたが、父親に「夫側に払う趣意金も出せないし、宿泊代も出せない、もし別れるとなったら、幼い弟や妹たちを口減らしに売らなくてはならない、だから帰縁してくれ」と頭を下げられたので、泣く泣く夫のもとへ帰ったというのだ。
「惣太郎さん、女が泣く泣く門を出て行くのを見送ったことがありますか。ないでしょう。いや、ないほうがいいんです。あんなのは見ないほうがいい。あれは応えますよ、自分の無力さにね。いったい自分は、寺役人として、この娘に何をしてやたんだろうって、力が抜けてしまいますね」
「磯野さまは、このお役がお好きなんですか」
「好きというか、女の涙を見るのが嫌なんですな。女はやはり、笑っているほうがいいでしょう」
「揉め事に首を突っ込むのが好きなだけですよ」
清次郎が、書き物をしながらぼそりと呟く。
「まあ、それもありますな」と、新兵衛は陽気に笑った、「しかし、おけいの身内の者は呼状を請けてすぐにやってきたのに、おみねのほうはまだですか。これは揉めるかもしれませんな、中村殿」
「そのときは、揉め事が好物な磯野殿にお願いしますよ」
「いやぁ~、こりゃまた一本取られた」
一同に笑いが起きると、「あの……」と、嘉平が声をかけた。
まだそこに居たのかと、惣太郎たちが振り返った。
「三田屋の使いの者が待っておりますが。おけいの身内の者を、いつ寺へ寄越したらいいでしょうかと」
「嘉平、それを早く言え、いますぐに来い伝えろ」
嘉平は、閻魔の清次郎に睨まれ、針山から転がり落ちるように駆けていった。