【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 28
現在の情勢では、大海人皇子有利!
が、大友皇子も、めきめきと力を付けてきている。
外交においては、彼が一手に引き受けている。
元来葛城大王の地盤が百済と懇意にしていた渡来系氏族や百済の旧臣で、そのため百済(すでに百済は滅亡しているが)には友好的で、新羅や唐には敵対心を持ち、朝貢があってもまともに取り合わない。
以前来た新羅の朝貢に対しても、型通りの挨拶をしただけで、宴席なども開かない。
仕方なく、代わって宴席を設け、さらには船まで与えて新羅本国へと帰したばかり。
流石にこれではまずいと大友皇子が出てきて、最近は彼に任せているが、何かと上手くやっているようだ。
耽羅(韓国済州島)が使者を送ってきたときは、盛大に持て成し、五穀の種子を与えて帰国させた。
酷く感心したものだ。
―― これは、まさかがあるかもしれないな……
と、すぐに大友皇子に耳面刀自(みみもとじ)を妃として娶せた。
他の娘……氷上娘(ひかみのいらつめ)と五百重娘(いおえのいらつめ)は、大海人皇子のもとに送っている。
どっちに転んで大丈夫だ。
ただ心配があるとすれば………………自分に有能な息子がいないこと。
いや、息子ならいる ―― 史(ふひと)が。
次男でありながら、父を補佐するのだと、必死で勉学に励んでいる。
残念ながら、長兄の貞慧(じょうけい)はすでにいない。
父も驚くほど有能で、外の世界を見たいと僧侶になり、唐へと渡ったが、ゆくゆくは跡取りとして政の世界に戻ってくれることを期待していた。
が、あっさりと病に倒れた。
本当にあっけなかった。
人とは、こんなに簡単に死ぬものなのかと驚き、逆に涙も出なかった。
目の前が真っ暗になった。
息子を失った悲しみ、そして自分の代で家を終えてしまうという申し訳なさ。
次男の史は、
『父上、自分が兄上の分まで頑張ります』
とは言ってくれたが、不安は残る。
次男だからではない。
自分も次男だ。
兄も跡取りなく亡くなったので、自分が家を継いだ。
それからは、重圧と不安と失敗の連続 ―― それでも、有力氏族を抑え、現在では朝廷内で首席を務めている。
揺るぎない地位………………とはいえない、前にも言ったが、この世界は一寸先は闇………………いつ転がり落ちるかもしれない。
その一番の機会が、代を継ぐときだ。
史は努力家だ。
誰にも話していないが、血筋からいえば悪い ―― 母は難波で春を鬻いでいた女 ―― 血だけでいえば、到底将来は望めない。
だが、本人はそれを知らないが、自分に与えられた運命に果敢に立ち向かおうとしている。
貞慧が亡くなったことは誤算だったが、いまは史に賭けるしかない。
史が、将来安心して政ができるように、家が繁栄するように、あと少し細工が必要だ。
そのためには、もう少し時がいる。
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