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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 98

 が、十兵衛は、織田家のなかで最も使えるのは、

『羽柴殿でしょうね』

 とも、太若丸に語っていた。

 昨夜、本能寺が思い浮かんだあと、十兵衛と今後の策について話し合った。

 もちろん、狸退治などのためではないが………………太若丸は、いっそのこと家康も葬ってはと言った。

 十兵衛が天下をとれば、誰がついてこようか?

 ―― 柴田勝家はどうか?

 十兵衛は首を振る。

『柴田殿は織田家の直参、自ら天下取りに動こうとはしまいが、主を失えば、別の主を担いで織田家の再興を図り、お家の安泰を図るでしょう』

 ―― なるほど、ならば滝川一益、惟住(丹羽)長秀、蜂屋頼隆らは?

『彼らも同じ』

 恐らくは、信長亡き後、勝家、一益、長秀、頼隆ら家臣団が、当面の敵になる。

 これらに対抗するには、いまの惟任の軍だけでは難しいであろう。

 多くの味方が必要だ。

 昨日の敵は今日の味方 ―― 毛利、上杉、北条、本願寺らの寺社方らは当然だが、織田家のなかでも味方が欲しい。

『なかでも、徳川殿は使えます。大殿の言う通り、あれは狸 ―― 化け狸です。野心など表にみじんも見せませぬが、あの腹の中は何事かを企み、虎視眈々と狙っておりまする。それが、大殿の首か? はたまた天下取りか?』

 天下取りとなれば、十兵衛には脅威なはず。

 いっそのこと、信長とともに屠ったほうが良いのでは?

『確かにそうでしょうが、武将として、そのぐらいの野心がなければ、使い物になりませぬよ』

 そういう考え方は、信長と同じなのだが………………

『ともかく、大殿の亡き後、織田家と対峙したときに、徳川殿は東の抑えとして使えます。此度の件で徳川殿に恩を売れば、我に靡くはず』

 ―― なるほど、あとは?

『羽柴殿』

 十兵衛は断言する。

『何の伝手もなく、その働きと細やかな心遣いで、織田家の大将格にまで上り詰めたところなど、某と同様。大殿への恩義も同じはず。だからこそ、大殿がいなくなれば、織田家に依存するつもりもござらんであろう。大殿が、つねに裏を返すと恐れておられたが、その気持ちも分かりまする。羽柴殿も、某と同じ匂いがいたしまするからな。ただ、羽柴殿が我につくか………………?』

 ―― それならば大丈夫!

『何か秘策が?』

 ―― 羽柴殿は、吾に助けられた恩がある。

『そは誠でござりまするか?』

 太若丸は頷く。

『それは心強い』

 と、十兵衛は微笑む。

『ならば、徳川殿と羽柴殿は、こちらに引き込むために話をつけねばなりますまい。そのときの見返りを何とするか?』

 ―― 十兵衛様は征夷大将軍として天下にあり、羽柴殿に鎮西探題として西を、徳川殿には関東管領として東を治めてもらうのは如何か?

『天下三分の計ですか………………』

 十兵衛は、あまり乗り気ではないようだ。

 多分、秀吉や家康に支配地を与え、その差配を任せれば、きっと裏を返されるであろう。

 だがこの状況で、秀吉、家康を敵にまわすのは最も危うい。

 このふたりの力がなければ、織田方と戦うことも難しかろう。

『あのふたりを従わせるには、仕方ありますまい。織田方を滅ぼしたあとは、頃合いを見て羽柴、徳川とひとりずつ潰していきましょう。とにかく、このふたりを味方につけねばなりませぬな、さて、如何にするか………………』

 五月に入って、男がやってきた ―― 真田八郎である。

 大きな躯体を窮屈そうに屈め、鴨居を潜って入ってきた。

 突拍子もなく現れるのは、いつものことである。

 久しぶりに十兵衛とふたりだけで暮らしているのだから、遠慮してほしいと思ったが………………

「相変わらず唐突なやつだな、急いで来いなど」

 なんだ、十兵衛が呼んだのか。

 八郎は濁酒が飲めないので、白湯でいいかと出すと、よっぽど喉が渇いていたのか、三杯ほど飲み干した。

「で、何の用だ?」

 十兵衛が口を開こうとすると、待てと手をやる。

「おぬしのことだ、どうせ碌なことではないだろう」

「まあ確かに、碌でもないことだな」と、十兵衛は笑った、「織田を討つ!」

 八郎は一瞬目を丸くしたが、

「うむ、確かに碌でもない」

 と、酷く冷静だった。

「で、いつ討つ? やるのは弾正(信長)だけか? 味方は? どうやって?」

 など、八郎は矢継ぎ早に訊いた。

 十兵衛は、ひとつひとつに丁寧に答えていった。

「松平のやつを囮にして、弾正を討つか……、それで、藤吉郎(秀吉)らも味方につけたいから、俺につなぎをしろと?」

 なるほど、それで呼んだのか。

「某や権太殿が、頻繁に動けば怪しまれましょう。間者らを使って捕まれば、より面倒になる。その分、商人(あきんど)であるおぬしは、怪しまれずに平気でどこでも行けるであろう。権太殿に書状を認めてもらう故、それを二方とやり取りしてほしい」

「相変わらず、面倒なことを押し付けやがって。もし、俺が捕まったらどうするんだ?」

「捕まらんよ、おぬしは」

 八郎は、けっと鼻で笑う。

「よく言うよ、俺のように名の知れぬ商人が捕まっても、知らぬ存ぜぬで通せるからな、流石は鬼でも使う天下人様だよ」

「ことが終われば、たっぷりと褒美をやるよ」

「すでに天下人になったような口ぶりだが、お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫とは、何が?」

「お前とは古い付き合いだが、いつも肝心なところでつまずく。様々に策を凝らしてことをなそうとするが、詰めが甘いから数十年も浪人をやっていたのだろう。むしろ弾正のもとで、ここまで上り詰めた方が不思議なくらいだ。相手は自ら第六天魔王と名乗るやつだぞ、そんなやつ相手に油断してみろ、一気に首を噛み千切られるぞ」

「油断はしておらんよ」

「いや、俺に言わせりゃ、しておるよ。松平や藤吉郎を味方につけるといっているが、だいたいお前の下の連中は大丈夫なのか? 弥平次(明智左馬助秀満)らは、この一件に承知しているのか?」

「それは、まったく心配はござらん」

 十兵衛は断言する。

「与力である長岡(細川)や筒井、一色は?」

「まだ話はしておらんが、恐らくは………………」

「恐らく?」、八郎はため息を吐く、「だからお前は駄目なんだよ。そこをしっかりと取り込んでおかねば、ひっくり返されるぞ」

「まあ、そこはしっかりと抑えておく」

「あと、織田を討つといったが、これは単なる下剋上であろう」

 確かに。

「織田を討つとなれば、毛利や上杉、北条らの大名や寺社方は喜ぼう。だが、朝廷(みかど)が納得するか? いまの朝廷は、織田家にべったりだぞ。公家連中のなかには、織田家は横暴だとか陰口を叩いているやつもいるが、弾正の銭がなければ飯も食えんのだぞ、あの連中は。そいつらが納得いく大儀があるのか?」

 ならば簡単ではございませぬか?

 信長は、天朝を蔑ろにし、自ら神となって大八洲島を支配しようとしている ―― これは下剋上の比ではございませぬ ―― 天地をひっくり返す大暴挙 ―― 天地の理を保つために、魔王信長を討つ………………その大儀だけで十分なのでは………………と、太若丸は言った。

「あいつが、神に? 神?」

 八郎は噴き出し、大笑いした。

「ついに、弾正は頭がいかれたか? 尾張のころから〝うつけ〟などと言われておったが、まこと〝おおうつけ〟よ。人が神になれると思っておるのか?」

 信長は思っている。

 そのために、十兵衛や太若丸が、どれほど苦労したか。

「だれが、神などと吹き込んだのか?」、八郎は十兵衛を睨みつける、「お前……、やったか?」

 やった?

「あの〝うつけ〟に、神になれると信じこませたか、このときのために?」

 十兵衛は、にやりと笑う。

 そうなのか………………十兵衛の策略?

「立ってるものは、神をも使うか、お前というやつは」、八郎はあきれた顔をしていた、「まあ、表向きはそれで納得しようが、もし織田をやるなら、事前に天長から織田征伐の勅旨をとっていたほうがいいぞ」

「うむ、それは吉田殿(吉田兼見:よしだ・かねみ)に、取り成しをお願いしよう」

「だが、一番は銭のほうだ、どうするのだ? 公家連中の心配事といえば、もっぱらそれだけだからな。口では下賤の輩だと罵っているが、立派な金づるがいなくなるんだ、抵抗もあろう。俺はないぞ、一銭も出せないぞ」

「そこは某にも蓄えはあるし、織田家を倒した後の領地もある。いざとなれば、堺の商人らに出させる」

「あいつらも味方に引き込んだか」

 十兵衛は頷く。

「気をつけろ、あいつらも心配事は金だ。商人の俺がいうのもなんだが、儲からないとみれば、平気で相手を売るぞ」

「それは百も承知、いづれにしろ、最早この流れは止められん。八郎、地獄の底まで付き合ってもらうぞ」

「地獄? 誰が付き合うか。明智様が天下をとれば、静謐・太平、この世は極楽浄土であろう? 俺は商人として、美味しい汁を吸わせてもらうぞ」

「いくらでも」

 十兵衛は、にこりと笑った。

 太若丸は、秀吉と家康宛に書状を認めた。

 秀吉とは面識があるので、八郎が直に持っていくという。

 家康の方は、

「俺の手下が持っていく」

 いろんな人脈をもっているそうだ。

 数日後、八郎の手下がやってきた ―― 家康とはどういった関係かと聞いてみた。

「いや、なに……、家臣の服部様とちょっと………………」

 なるほど、伊賀者か………………書状を携え、三河へと下っていった。

 これは一種の賭けである。

 秀吉や家康が、その書状を持って信長に上申すれば、十兵衛の首は飛ぶ。

 もちろん、その書状を書いた太若丸の首もだ。

 だが、秀吉も家康も、そのようなことはしないと確信している。

 秀吉は、信長の小姓である太若丸に手を付けてしまった負い目と、それを黙っていたという恩がある。

 さらにいえば秀吉自身、信長にあまり気に入られていなことも分かっている ―― だから、気に入られようと、必死に働いているのだ………………それが、裏目に出ることが多いが。

 そんな信長がいなくなり、十兵衛のもとで自在に動けると考えれば、どっちにつくか?

 そんな信長に、十兵衛が裏切ろうとしているといっても、どちらを信じようか?

 家康も同じであろう。

 家康の言葉と、十兵衛の言葉、信長はどちらを信じようか?

 織田と松平とは、信長と家康の祖父や父の代からの因縁である。

 同盟とはいいつつも、実際は信長の配下である。

 目の前に、関東管領という餌をぶら下げられれば、どう思うか?

 そして、これは十兵衛の勘でもあるが………………、

『あのふたりからは某と同じ匂いがします、主人に忠実な犬ではなく、虎視眈々と獲物を狙う狼のような』

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