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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 75

 次に目を覚ましたのは昼頃で、ぼんやりと目を開くと、安覚が心配そうに覗き込んでいた。
 傍らには、安寿もいる。
「どうです、気分は? 大丈夫ですか?」
 首元が少々ちくちくするが、身体の方は大丈夫なようだ。
 頷くと、安覚が涙目で何度も頷いた。
 安慈はどうなったかと訊くと、
「逃げたようです」
 と、安寿は苦笑した。
 安覚にぼこぼこにされ、伸びていたが、彼が太若丸を介抱している間に、姿をくらましたらしい。
「結局は、その程度の男ですよ。戦だ、戦だと大きな口を叩くやつほど、逃げ足が速い」、安寿は、ふっとため息を吐いて、「とはいうものの………………、安慈が逃げたのも分かりますな。我々もどうしますか? 逃げましょうか?」
 どうやら、覚恕の内裏への仲裁要請が上手くいってないようだ。
 その間に、信長はじりじりと間を詰めているらしい。
 期限を今日までと切ってきたそうだ。
 御山は大混乱だ。
 ―― 戦か?
    恭順か?
 安慈を失っても、僧兵の中にはまだ吠えているやつもいるそうだ。
 だが、大半は諦めのようで、どうやって弾正忠の機嫌を取るかで、揉めているようだ。
 が、良い案が出ないらしい。
「織田殿というよりも、先鋒の明智殿のご機嫌をとらねばならぬのですが………………」
 何人か僧を送ったが、
『殿があれほどにも折れ、そなたらに良い条件を示されたにも関わらず、それを反故にしたのは、そなたらではないか! 云うたはずだ、これを呑まねば一山焼き払うぞと! いまさらどの面を下げて謝りにきたか!』
 と、追い返されたらしい。
「十兵衛という侍も、なかなか手強い」
 太若丸は、えっとなった。
 それに気が付き、
「そうそう、そなたが言った通り、明智殿は、十兵衛と言った。明智十兵衛光秀殿だ」
 恋しい人の名だ。
 久しぶりに聞く名だ。
 随分探した人だ。
 胸が、さわさわと疼いてくる。
 が、その人が御山を攻撃しようとしている。
 僧だけでなく、女子どもまで殺そうとしている。
 そんな馬鹿な………………
 ―― 嘘だ!
    絶対嘘だ!
    十兵衛が、そんなことをするはずがない。
 誰にでも優しい、誰の相談事でも話を聞いてくれる、そしてそれで右往左往して、一生懸命汗を流している彼とは違う。
 彼は、何度も村を助けてくれたのだ。
  ―― 村の、太若丸の英雄なのだ!
 が、ふと思い当ることもある。
 落ち武者狩りの時、悪さをした足軽連中 ―― 村の娘を襲った連中の首を、いとも簡単に斬って捨てた。
 のちのち有利と考えると、それまでの主人を捨て、別の主に乗り換える人だ。
 目指すは征夷大将軍………………まあ、これは届かぬ夢として、城持ち大名である。
 主はおろか、邪魔なら親、兄弟、我が子すら殺す世の中である。
 十兵衛も、三宅弥平次に、主として相応しくなければ、首を刎ねろと言っていた。
 それでなければ、当代の武将は務まらない。
 もし、主がやれと言われれば、やらざる得ないだろう。
 いや、それが己に有利に働くのなら、十兵衛ならむしろ喜んでやるのではないか………………そんな気がしてきた。
 太若丸は、安寿に言った ―― 十兵衛に会わせて欲しい、と。
「会わせる? 明智殿にですか? しかし………………」
 太若丸は、十兵衛との関係を話した。
 村に来たこと、村であったこと、十兵衛を慕って村から出たこと、十兵衛に会いたかったこと。
 そして、御山を攻めるなと説得すると。
「そなたが会ったところで、どうにでもなるとは思いませんが………………」
 安寿は、安仁に相談しに行った。
 戻ってきたときは、
「許しは得ました」
 と、何とも複雑な表情をしていた。

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