【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 中編 25
『死んだが、生きてる? な、なんや、生き返ったか? どうゆうことや?』
『八重女という婢は死んだ。だが、八重子という女として生き返ったんや』
黒万呂は考えた。
自分は頭の良い方ではないと思っている。
弟成や他の奴たちと比べると、猪突猛進というか、考えもなしに思ったことをずばりと言ったり、その場の勢いで行動したりする。
もともと深く考えたりすることが苦手で、それよりは体を動かしていた方が楽だ。
その黒万呂が、持てる能力を発揮して、うんうんと考え抜いた。
が、答えは出なった。
呆れた老婆が可哀想と思たのか、口を開いた。
『お前と同じや。お前が斑鳩寺の奴からここの兵士になったように、八重女も婢から大伴家の娘になったや』
『ほ、ほんまけ?』
『そうや、いまじゃ、八重子様や』
老婆の話だと、数年前 ―― 蘇我本家が滅亡する前の話、ある皇子と繋がりを強くしようと、娘を娶らせる算段を企てた。
が、その時の大伴家に適当な婦女子がいなかったらしい。
そこで、どこからか連れてくることにした………………それが、八重女であった。
八重女は八重子と名を変えられ、大伴家の娘として皇子のもとへ嫁いだ。
『まさか、大伴家の娘が、それも皇子さんの妃にという娘が、もとは婢じゃったとばれては適わん。そこで、八重女は死んだことにして、固く口止めされたのじゃ』
衝撃的な出来事であった。
惚れた女が貴人になっていようとは、そして何より人妻になっていたとは。
確かに、八重女が大伴家から斑鳩寺へ逃げ帰ってきたとき、貴人の装いであった。
あれは、そういうことだったのかと、いま思い当った。
『そ、それで八重女は? いまどこに? その……、まだ皇子さんの……』
老婆は首を振った。
『いや、その皇子さんも何度か通われたが、そのうち疎遠になってな。やがて亡くなられて、いまは独り身のはずじゃ』
王族や氏族は、通い婚が一般的である ―― 夫が妻の家に通う、夫が通わなくなれば、結婚生活も終わり、男はまた別の女のところに行くし、女も別の男を迎えればいい ―― ひどく奔放で、自由な結婚生活であった。
『この奥の屋敷におられるはずじゃ』
と、老婆が指さしたのが、いま現在黒万呂が警護している屋敷であった。
黒万呂は、しとしとと降りすさぶ雨のなか、屋敷の周りをゆっくりと歩く。
本来見張りは、外部から侵入を防ぐために意識を外へ向けていないといけないのだが、黒万呂の視線は常に屋敷にあった。
―― この中に、八重女がいる!
八重女と思しき女の屋敷の警護を仰せつかったとき、黒万呂は運命だと思い、飛び上がらん勢いだった。
屋敷の警護をしていれば、いつかは八重女に会える。
貴人はなかなか表に出てこないが、特に女性は内に籠っていることが多いが、それでも戸を開けたときとか、彼女の顔を垣間見ることができる………………そう期待していた。
が、これがなかなかどうして、思ったよりも大変だ。
すでに数か月夜間の見張りをしているが、いままで一度も八重女が顔を出すことなどない。
ましてや、戸が開いて、屋敷のなかを覗き見ることもできなかった。
老婆は、『ずっと籠りっきりのようで、なかなか表にでてこんらしい』と言っていたが、まさかここまで頑なとは。
それでも、黒万呂は一目八重女に会えるのではないかと、今宵もゆっくりと夜哨をするのである。
どうせ今頃、先輩兵士は酒を飲んで高いびきだ。
黒万呂は、中庭に面した大扉の前で何度か行き来する。
歩哨しているのが分かるように、わざと大きな足音を立てて。
―― この中に八重女がいる。
こんなに近くにいるのに…………………それはまるで、半島よりも先、唐よりもはるか先の天竺ほどの隔たりを感じた。
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