【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 99
かくいう十兵衛は、信長ともに、家康饗応の仕度をしている。
信長は、中途半端だと家康に気づかれるからと、豪勢にしようと張り切っている。
三職推認の一件も、下ってきた上臈衆らに、息子たちがすべて受けるという返書を持って帰らせ、これで天下は織田家のものと上機嫌で、
「狸の最期じゃ、豪勢に送り出してやろうではないか」
と、気合の入れよう。
そのせいで十兵衛は、京へ堺へと、品物を仕入れに大変なようだ。
家康の饗応は、直接に本能寺ではなく、一度安土でするらしい。
「死に土産に、神の玉座と言うものを見せてやろう」
その後は、大和や堺を見学させ、最後は京の本能寺で饗応するという流れである。
「そこで儂が合流し、しこたま良い気分にさせて、十兵衛が夜半に襲撃するのだな?」
「そのとおりで」
万時、十兵衛の考えたとおりに進んでいる。
「面白い、狸を儂が神になるための供物にしてやろう」
それでしたら、供物は二匹にしたほうが宜しいのではと、太若丸は口を挟む。
「ほう、二匹? 何故?」
太若丸は、セミナリヨで仕入れてきた話を披露する。
ぜす(イエス)は、ゆだ(ユダ)という弟子に裏切られ、髑髏の丘という場所で磔になるが、そのとき一緒にふたりの盗賊が磔となったらしい。
「なるほど、ふたりの盗賊か……、ならば……、〝猿〟はどうか? あやつも、天下を狙う盗賊ではないか?」
秀吉は備中高松で釘付けになっているので難しいであろうし、無理に動かせば変に疑われよう。
「ならば……、梅雪斎でよかろう。あやつも甲斐を盗もうとした盗賊、儂から天下を盗もうとしている狸と一緒に磔にしてやるわ。しかし、裏切りものはどうするか………………?」
「それならば、某が」
「十兵衛が裏切り者に?」
「大殿の御傍に一番近い某が本能寺を襲えば、他のものたちも浮足立ちましょう」
「面白い、面白いぞ、十兵衛! これほど愉快な話はないぞ!」
「あとは、徳川殿の警戒心を解くためにも、それぞれに出陣のご下命くだされ」
「うむ、十兵衛は、狸の安土饗応を終えたら、〝猿〟の助力に向かうという体で出陣せよ。その後に、勘九郎も中国攻めの総大将として向かわせる」
秀吉は、得意の兵糧攻めにしているらしい ―― 備中高松は沼地にある城で、攻め難い ―― だが、これを逆手にとって、周辺に堤を築き、そこに足守川の水を注ぎこんで湖上の城にしたらしい。
水面にぽつんと佇む城へは、最早助力も兵糧も運び入れることができず、孤立無援となる。
一方の毛利は、主君輝元自ら五万の大軍をもって駆けつけ、猿掛に本陣を置き、高松城の西岸岩崎に吉川元春、その南日指差山に小早川隆景が布陣し、本陣を竜王山から石井山に移した秀吉と対峙した。
いまは、睨み合いが続いているとのこと。
そこに十兵衛らが助太刀にゆくという流れ ―― 誰も疑わぬであろう。
八郎からは、『良い返事があった』と聞いている。
八郎は、秀吉との付き合いも長い。
兵糧攻めに飽きていたのか、名乗れば、懐かしい顔が来たと容易に迎い入れてくれたそうだ。
酒を酌み交わしながら ―― もちろん八郎は飲めないので、専ら秀吉が飲んでいたそうだが、昔話に花を咲かせた後、八郎は太若丸の書状を渡した。
それを読んだ秀吉は、ぎょっと目を見開き、酷く驚いていたそうだ。
『俺はなかを見ていなかったが、お前、何を書いた?』
まあ、秀吉が表に出せないようなことを………………
秀吉は、これはまことかと、何度も問いただしたそうだ。
そしてしばらく考えたのち、弟の秀長と側近の黒田孝高を呼び、十兵衛につくか、協議したらしい。
秀吉自身は、信長には恩義があると相当迷っていたそうだ。
だが、秀長と孝高は、信長は秀吉の働きを評価していない、毛利だけでなく、大友や龍造寺、島津を退治しても、信長は茶器ひとつで済ますだろう、使い捨てにされるだけ、下手をすれば用なしとして、佐久間様のように領地を召し上げられるか、最悪その首が飛ぶ、これは羽柴家にとって良い機会だ、ここで十兵衛とともに織田家を倒せば、天下三分のひとつは手に入る、猿回しの猿として一生を終えるか、駿馬として天翔けるか………………と、説き伏せたらしい。
『相当迷っていたぞ、弾正への恩義はそうだが、十兵衛の下につくのは、ああだこうだと渋っていたぞ、お前、あいつに何をした?』
十兵衛は、『何も』と首を振る。
まあ、秀吉の一方的な嫉妬だが。
『ともかく、藤吉郎は、こちらにつく。毛利とは水面下で和睦の交渉に入り、十兵衛に合流するらしい』
『それは有難い』
と、十兵衛は喜んでいた。
太若丸も、一安心である。
だが、八郎だけは浮かぬ顔だった。
『何かあるのか?』
『いや、こちらにつくからと、あいつをあまり信用するなよ。駿馬として天翔けるとは、つまりは自ら天下をとる………………、晋の武帝を思い出した』
晋の武帝 ―― 司馬炎(しば・えん)は、それこそ『天下三分』と称してお隣が魏・呉・蜀と三つに分かれていたときに、魏の皇帝から禅譲を受けて皇帝となり、三国を統一して晋を興した。
八郎が、よくそんなことを知っていたなと感心するとともに、なるほど、秀吉は織田家亡き後の天下を狙っているのかとも思った。
『女好きのところもよく似ておるな』
武帝の後宮には、一万人近い官女がいたとか。
『あいつは……、女で失敗する。とはいうものの、戦には長けておる、弟や黒田もおるし、用心した方が良い』
『それも、十分承知』と、十兵衛は笑う、『しかし晋も、晩年の武帝の愚策によって、長くは続かなかたではないか』
まあ、確かに。
家康のほうはどうかといえば、一応返事はきた。
八郎の手下の話では、散々待たされた挙句に、用心をするには越したことはないと、家康とは程遠い家臣である岡部正綱(おかべ・まさつな)から渡すと言われて赴くと、書状は預かっているが、委細を聞いていないので渡せぬと押し問答をするはめに、そこに榊原康政(さかきばら・やすまさ)がやってきて取り成しをお願いしたが、康政も別件できたようで知らぬと、ようやく事情を知っている本多重次(ほんだ・しげつ)がやってきて、無事家康からの返事をもらってきたらしい。
書状には、ことの一件を報せてくれたことへの謝辞があったが、いまだまことのことかと信じられず………………とあって、どうも様子見のようだ。
とはいうものの、すでに信長から饗応の案内がきているので、断るにもいかず、梅雪斎とともに安土へ赴くが、十兵衛に直に会って真相を聞きたいとあった。
『某が直接会うと怪しまれましょう』
ならばその役、吾がお受けしましょうと、太若丸が家康との交渉役に決まった。
そんなことも露も知らずに、信長は次々と出陣のお触れを出す。
「五郎左(丹羽長秀)は、四国に向かわせるぞ、三七(信孝)を総大将としてな」
高野山を囲んでいた信孝は住吉に向かい、いつでも双名島に渡れるように仕度を整えているらしい。
もちろん、長曾我部元親には、斎藤利三を通してこの一件の書状を送っている。
柴田勝家らの越前衆は、上杉勢の立て籠もる魚津を攻城中、対抗して上杉景勝が近くの天神山に後詰として布陣しているで、そうやすやすと動けまい。
滝川一益は上野に、河尻秀隆は甲斐に。
ここに、信忠を総大将として中国攻めに、また信孝を総大将として、丹羽長秀らを四国にまわせば、天下周辺に織田家重臣の姿はなく、信長を守るは近習と馬廻り組、お小姓衆と僅かな手勢となった。
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