【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 7
「縁切りについては、ざっとこんなものです。あと、扶持料は幾らとか、趣意料は幾らとかありますが、詳しいことは追って話しましょう。では次に、その他の仕事ですが……」
清次郎が話を移そうとしたとき、ひょいっと顔を出す者がいた。
「いやいや、どうもどうも。いま帰りました」
男は、旅姿のままでどかどかと入り込み、帳面に目を通していた宋左衛門の前に遠慮なく座り込んだ。
「いや~、疲れました。おい、嘉平、いっぱい頼む」
嘉平が留守だと聞くと、「しょうがないな」と言いながらお勝手へと向かい、自分で湯を入れてきた。
「ご苦労でありましたな。それにしても随分長かったが、何かありましたか」
宋左衛門は、この不躾な男に怒るでもなく、にこやかに尋ねる。
「ありました、ありました」、男はさも大変そうに、が、なぜか楽しそうに話した、「用人の御手洗(みたらい)さまが、『この書状ではこういう書き方はしない』とか、『ここにこれを書くと、お上が直接言い渡したようになるから、書きなおせ』とか、『この字は間違っている』だ、『日付が1日ずれている』だ、もうねっちこくて。書き直しては提出し、提出しては突き返され、また書き直しては提出しで、何枚紙を反故にしたことか。仕舞いには手も痺れてきて、もう筆を持つのも億劫で。そのくせ、ご自分は暮6つの鐘を聞けばお役を退かれますから、明日にしろと言われ。お陰で一泊で帰るつもりが、3泊もする破目になってしまいましたよ」
男は、なぜか愉快そうにけたけたと笑う。
宋左衛門も、「それは大変でしたな」と言いながら笑っている。
「それは、磯野(いその)殿が悪いのでしょう。書状なら、前のものをよくよく調べて書けばよいものを、磯野殿はえいやっと書くから」、清次郎は相変わらず厳しい。
「いやいや、中村殿、書状なんて読めれば……」、男は惣太郎と目があった、「おや、これは惣太郎さん、いらっしゃったのですか」
惣太郎は、磯野新兵衛(しんべえ)にひょこりと頭を下げた。
「今日は、郷役のお役目ですか。それともお父上のご機嫌伺いで」
「いえ、私、見習としてやってきました」
「おお、そうでしたね。そうだ、そうだ、すっかり忘れてましたよ。あはははは」
新兵衛は大笑する。相変わらず賑やかな人だ。
目鼻立ちのしっかりとした顔に、がっしりとした体つき、声をあげて笑うと、障子がびりびりと震えるほどだ。陽気で明るく、ちょっとどこか抜けている感があるので、独活の大木ならぬ、独活の新兵衛などと不名誉な渾名をつけられているが、仕事のほうは人並みにできる男である。
「しかし寺役とは、また豪(えら)いもの引き受けましたね。何かと大変ですよ。色々と心配りが必要ですからね」
「確かに大変そうですね。昨日も早速、駆け込みが参りまして、中村さまの調べを拝見させていただきました」
すると新兵衛は、意味ありげに笑いながら清次郎を見た。
「また、泣かせたんじゃないでしょうね」
「普通の調べを行っただけだ」
「いやいや、中村殿の調べは厳しいですからな。いままで何人の女を泣かせてきたことか」
「人聞きの悪いことを言わんでもらいたい。拙者は、決まりどおりの取調べをしているのだ。それよりも、磯野殿のほうはもう少しきちんとしたお取調べを行われたほうが良いのではないか。この前も、不義理を犯した女を寺預りにしたではありませんか」
「いや、あれはですね……」
新兵衛が言い訳をしようとしたときに、惣太郎の母が、女が駆け込んできたと告げた。
「2日続いてとは珍しい」
宋左衛門は一同を見渡す。
新兵衛は目が合うと、
「いや、拙者、まだ江戸から帰ってきたばっかりで、それに色々とやることが……」
と、遠慮する。
仕方なく清次郎が席を立った。
「中村殿、ほどほどに」
と、新兵衛が言うと、清次郎はぎょろっと鋭い眼差しで黙らせた。