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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 5

 夕餉は、父と膳を囲んだ。

 久しぶり……というわけではない。同じ郷に住んでいるのだし、盆暮れと必ず帰ってくるし、郷役の用事で寺を訪れたときも、顔を覗かせる。惣太郎自身、親元に帰ってきた懐かしさも、安らぎもない。

 だが、親は違うようだ。

 息子が帰ってきたのがよほど嬉しいのか、父は上機嫌で濁酒を啜っていた。母から、久しぶりなのだからそのぐらいにしてくださいと言われて、うむと頷くだけで、猪口を置くことはない。

 母も母で、息子の元気な顔を見ることができて嬉しいようだ。付きっ切りで世話をしてくれる。櫃を抱きかかえ、飯をちょっと口に運んだだけで、「惣太郎、お替りは」と尋ねてくる。

「いや、もう腹のほうは十分です」

「どこか具合でも悪いのかい。見れば、少し痩せたようだけど、ごはんはきちんと食べてるかい」

 母の鬱陶しい愛に、少々うんざり気味であった。

 左隣の壁から、子どもの華やかな声が聞えてくる。寺役人の役宅は、三軒長屋である。一間六畳という狭さで、壁も薄いので隣の音がよく聞えてくる。

 話を逸らすように、随分賑やかですねと訊く。

「磯野(いその)さまのお子ですよ。上が7つで、下が4つ。可愛い盛りです」

 花畑で見たあの娘たちだ。父親の磯野新兵衛(しんべえ)は、いま江戸に出役中であるらしい。

 対する右隣は清次郎夫婦の部屋である。こちらは実にしんみりしている。物音すらしない。

「中村さまのところは、お子がいらっしゃらないのでね。奥さまも寂しいでしょうに」

 惣太郎は、昼間出会った女を思い出す。どこか生気がなく、身を潜めるように生活をしている女。もしや、清次郎に酷い扱われ方をしているのではないかと勘繰ってしまう。おみねに対する態度を見ても、清次郎の女性への接し方が分かるような気がする。子ができぬことを、責め立てているのかもしれない。

 気になった惣太郎は、父に清次郎のことについて尋ねてみた。

「自分のお役目をきちんとこなす、優れた男だぞ」

「それはそうでしょうが、しかし、昼間のおみねへの取調べを見る限り、少々手厳しいといいますか、情が足らぬといいますか……」

「うむ、確かに中村殿の吟味は厳しいのう。しかし、あれはあれで、結構人情味がある男じゃ」

「そうですか」、惣太郎は首を捻る、「縋るような想いでこの寺にやってきたのに、それを頭ごなしに叱りつけるとは、私には、人情味が感じられませんが」

「じゃが、おみねは寺預りとなったのであろう」

 惣太郎は、それはまあと頷いた。

「しかしそれは、単に決まり事だからではないのですか」

「うむ、まあ、それもあるな。だが、人には人それぞれのやり方があるからの。一見、冷たそうに見えて、思いやりがある男もおるし、逆に温和そうな顔をして、酷いことをしでかす輩もおる。だから、人は分からんし、面白いのじゃ」

 ちっとも面白くないし、清次郎が何を考えているのか全く分からないので困っている。ただ、このお役目が嫌いだということは、はっきりしている。

 惣太郎も、その点は清次郎に似ていると思っているが、その反面、自分はそれほど冷徹な男ではないと思う。

「それに、中村殿はよく働いてくれる。ワシの調子が悪くなってから、殆どの駆け込みは中村殿がやってくれておるからの。ワシが持っておるのは一件だけじゃ。これがなかなか手古摺っておっての……」

 父は、忌々しそうに右膝を摩る。

「どういう一件なんですか」
「うむ、おはまという女なのだが、少々込み入っておってな。亭主である政吉(まさきち)という男が、なかなか三行半を書かずに揉めておる」

「それならば、〝お声掛り〟にすればよろしいのでは」

「そうもいかんのが、この一件の難しいところでな」

 宋左衛門が話したがらない様子だったので、それ以上惣太郎も突っ込んだ話を聞かなかった。

 その夜、親子三人〝川の字〟で寝た。

 惣太郎は端で休むと言ったのだが、母が「まあまあ、真ん中に寝なさい」と、勧めるので、無碍に断るのも親不孝だと思い、六畳の真ん中に大きな体を横たえた。

「これでは〝川の字〟というか、〝小の字〟ですね」

 息子の戯言に、母は笑う。

「小さい頃、あなたが書いた〝川の字〟そっくりですよ」

「私、そんなに下手でしたか」

「上手いとはいえなんだな」

 父の眠たげな言葉に、母はまた笑った。

 久しぶりの〝川の字〟のせいか、子どもの頃の夢を見た。

 惣太郎は寺の花畑にいた。花切りをして遊んでいると、女が駆け込んでくるのが見えた。それは、惣太郎が小さい頃よく見た風景だった。ただ違ったのは、女が母であったことだ。惣太郎は、父と何かあったのかと不安になった。

 母のところへ駆け寄ろうとして、目が覚めた。

 部屋には父と母の姿はなく、障子の間から幼子ふたりが顔を覗かせていた。

 惣太郎が「おはよう」と声をかけると、子どもたちは「きゃあきゃあ」と可愛らしい声をあげて逃げていった。

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