【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 6
見習2日目、寺の院主と隠居に挨拶をしたあと、惣太郎は清次郎に、おみねを例えに、縁切りの進め方を教わった。
「まずは、女が駆け込んできたら、身元を確かめます。ここでしっかりと確かめないと、あとあと面倒なことになりますので。なかには、お尋ね者などおりますから」
それで昨日のような厳しい取調べをするのかと合点がいった。が、もう少し良いやり方があるような気もした。
「女の身元が確かなら、親を呼び出します。これが呼状です」
清次郎は、慣れた手つきで紙に筆を走らせる。
「親がいないなら、兄弟、親類縁者となりますが……」
おみねには、二親(ふたおや)がいないらしい。兄弟もおらず、天涯孤独だとか。身寄りといえば、馬鹿亭主の寅吉だけだ。
「五人組の組頭を呼びつけましょう。あとは大家(家主(やぬし))もです。大家といえば親も同じ、店子は子も同じですから」
宛名は、おみねが住む町の名主である。内容は、おみねという女が駆け込んできたが、事情を訊きたいので、関係者をすぐに寄越せというものである。
書き終えた清次郎は嘉平を呼び、頼むぞと付け加えて渡した。
嘉平はすぐにといって部屋を飛び出しいく。慌て者ゆえ、転ばねばよいがと思っていると、どんと鈍い音がして、「いてぇ~」と野太い悲鳴が聞えてきた。
惣太郎は笑いを堪えながら尋ねた。
「あのような紙切れ一枚で、すぐにやってきますか」
「飛んできます」、清次郎は嘉平の慌てぶりにしかめっ面をしながら断言する、「そこは東照大権現さまのご威光です。満徳寺から呼状が来れば、取るものも取敢えず飛んできます。まあ、なかにはやってこない不届き者もおりますが」
女の身内がやってくれば、その者らから詳しい事情を聞き、熟縁(じゅくえん)(復縁)させるよう達する。
「まずは、身内の者に諭させてください。そのほうが女も、親兄弟に心配はかけさせられないと、夫のもとに帰りますので。それに、そんなことに係わっていると、こちらが疲れます」
またまた清次郎の本音が出たか。
「それで女が家に戻りますか。女のほうは、駄目亭主に耐えかねて飛び出してきたわけですから」
「まあ、手ごわいですね」
女が納得すれば、そのまま夫のもとに帰り、この一件は落着となるが、拒否すれば内済離縁となる。
妻の身内や町役人、または村役人たちが、夫の身内や町役人、村役人と交渉して、夫に三行半を書かせるのである。
「夫のほうも、町の顔役らに迷惑を掛けられないというのがありますし、自分の妻が縁切寺に駆け込んだなんていうと恥になりますし、大抵は三行半を書きます」
夫が離縁を拒めば、寺役人の出番である。夫を寺に呼び出すのである。が、ここまでくると、さすがに夫のほうも満徳寺の威光を恐れ、離縁を承諾するという。
腑に落ちない夫は、呼び出しに応じて寺までやってくる。寺役人は夫を諭し、また町役人や関係者も仲裁に入って、夫が納得すれば離縁となる。
「普通はここまでで離縁となります。これ以上は然(そ)う然(そ)うありませんが」
と前置きをして、清次郎は話を進めた。
説得を受けた後も、夫が首を縦に振らなければ、いよいよ女のほうは覚悟を決めて入山(入寺)となる。
「『松風を有髪の尼で三年さき』などといいますが、3年年季奉公すれば、晴れて離縁となります。まあ、いまは短くなって2年と1ヶ月ですが。松ヶ岡(鎌倉東慶寺)のほうでは、2年ちょうどのようですね」
その間、寺役人としては、『追て離縁状請取候旨(おってりえんじょううけとりそうろうむね)』とか、色々な書類を作るらしいが、一度に覚えると頭が混乱してくるので、取敢えずは流れだけを頭に入れておくことにした。
書類は追々である。
「しかし、ここまでやってもしつこい男がいるものです。女房をそれほど想っているかどうか知りませんが、まあ、そんな男なら女に手はあげんでしょうが、呼状を無視したり、女が入山したあとも、女房を取り戻そうと訴え出る者もおりますので。そういったときは、お声掛りになります」
惣太郎も良く知る〝お声掛り〟である。
それほどまでに女に未練があって、男が渋るなら、寺として寺社奉行所に願い出て、その権威で強制的に縁切りをさせようとするものである。
さすがに寺社奉行まで出てくると、夫のほうも折れる。
「しかし、中には頑固な男がいるのではないですか」
「ええ、いましたね。奉行の威光もなんのそのといった感じでした。しかしそのときは、男を仮牢に入れたらしいですよ。なんでも、きついお仕置きをしたとか」
清次郎はにやりと笑(え)む。
多分寺社奉行の面目に掛けて、責め(拷問)を使って三行半を書かせたのだろう。あな恐ろしい。それを笑って話す清次郎も、恐ろしい。