『法隆寺燃ゆ』あとがきに変えて
『法隆寺燃ゆ』ようやく完結しました。
2017年9月3日に掲載をはじめ、足掛け2年5ヶ月あまり……
途中、他の小説をはさんだり、データーがすべて飛ぶというハプニングがありましたが、何とか完結までにこぎ着けました。
小説自体は、15年前に書いたものに加筆、修正したものですが(第5章中編以降は最近書いたものです)、構想自体は私の高校生時代まで遡ります。
すると、構想から数えて約30年……その意味でも、長い小説になりました。
この小説のアイデアは、高校生時代に法隆寺再建・非再建論があると知ったことです。
法隆寺は一度消失している(そういった学説がある)と知ったとき、1400年前からずっと当時の面影を残していると思っていた私には衝撃でした。
大学では、歴史系の学課だったので、法隆寺境内の発掘調査で若草伽藍という遺構が出土したことも知り、ますます法隆寺は一度焼失してのだという思いを強くしました。
ではなぜ、法隆寺は焼失したのか?
『日本書紀』には、火災にあった日は大雨で、落雷があったという記述があります。
また、法隆寺の現在の五重塔の法輪に鎌がかかげられており、雷避けだと言われています。
そのため、落雷による自然火災ではないかと考えられています。
ですが、本当にそうでしょうか?
落雷による火災で、金堂から中門にいたるまで全焼するものかと……
その前年12月に、法隆寺は一度火災にあっています(同月に大蔵も火災がありました)。
このときは、全焼は免れたようです(ただ、この時『日本書紀』には「斑鳩寺」と書かれ、全焼したときは「法隆寺」と記載されているため、別の寺ではないか、斑鳩に斑鳩寺と法隆寺という2つの寺があったのではないかという説もあります)。
二度の火災に、政府の財産を入れる蔵(大蔵)の火災……
政治的環境では、白村江の戦いでの敗戦、半島からの大量の移民、近江への遷都、その近江での火付けの多発、唐・新羅に対する築城等の防衛政策、そして天智天皇と弟の大海人皇子との対立(実際、法隆寺消失あと、天智天皇が息子の大友皇子を太政大臣に就けたりして、大海人皇子を政権中枢から外していきます)……
もしかして、法隆寺は政治的要因で火災にあった? と考えるようになりました。
では、誰が……となりますが、私が考えたのは、反天智派の連中……大海人皇子や大伴氏(壬申の乱で、大伴氏は大海人側につき、活躍します)ではないかと……
でもなぜ、法隆寺が狙われたのか?
法隆寺は、百済との繋がりの強い寺です。
入師や聞師は百済僧です、有名な百済観音などあります。
近くには、高安城もあります。
また、天智天皇は中大兄皇子という名前とともに、葛城皇子とも呼ばれていました。
つまり、有力氏族である葛城氏のもとで育ったと思われます(当時、皇子、皇女は生まれると経済的後ろ盾となる有力氏族に育てられました)
葛城氏は、蘇我氏以前に権勢を誇った氏族です。
蘇我氏が台頭してきてから、とって変わられますが、蘇我馬子が推古天皇に「葛城は蘇我氏の本拠地(うぶすな)であるので賜りたい」と願い出たように、葛城氏の財産を受け継いだ可能性が高く、蘇我氏の一員である厩戸皇子が建立した法隆寺と天智天皇の関係が深いのもあったのではないかと思います。
法隆寺を狙えば、現政権側にプレッシャーをかけることができる!
いわば、テロのようなものです。
これを軸にして、小説を書いたら面白いので? というのが始まりでした。
ですが、ただ古代の権力者同士の争いを書いても面白くない。
私は、歴史の偉人といわれるような人たちに興味はなく(歴史系の学課にいながらなんですが……)、前にも書きましたが、歴史は為政者や権力者たちが作るものではなく、彼らの横糸に対して、一般市民の、名もない人たちが生きて、受け継いでいったものが縦糸として、これらが複雑にからみあって、歴史という織物ができるのだと。
権力者たちの争いのなかで、普通の人たちはどう生きたのだろうと?
書物に記されることのない、喜びや哀しみ、怒り、楽しみなど、様々な思いがあったに違いない。
それを書きたい!
そう思い、古代に生きた一般人(奴婢という特殊な階層ですが)たちを主人公にして、『法隆寺燃ゆ』を書きはじめたのです。
小説は、5章だての前中後編の三部構成になっています。
一部を奴婢たちの物語、残りの二部を為政者たちの物語に……世界がまったく違う、いわば最上層と最下層の、絶対に交わることのない人たちの人生が、時間を追うごとに複雑に絡み合っていきます。
権力者側は、政治改革に命を燃やす蘇我入鹿、その入鹿に憧れ、ともに政治改革を進めようとしながらも、中臣という家に囚われていく中臣鎌足、そして古い政治体制を守り、有力氏族の誇りと名誉のために戦う大伴氏を軸に、多くの人々が自分たちの思惑と欲望のままに、複雑に絡み合っていきます。
奴婢側は、三男として生まれた甘えん坊の弟成が、黒万呂や稲女、八重女、聞師たちと交流や、権力者同士の争いに巻き込まれたり、世の不条理に触れたりして、悩みながらもひとりの青年として成長していきます(途中、戦争に従軍し、その悲惨な光景を目の当たりにして、記憶を失ってしまいますが……)。
私が、この小説で一番書きたかったことは、蔑まれた人々 ―― 歴史に名を残さない人々の悲しみです。
いつの時代もそうです。
権力者たちは、耳触りの良い言葉で市井の人々を煽り、自分たちの駒として利用していく……
「権門笛を吹き、民踊る」です。
そんな哀れな民も、決して権力者の駒ではなく、ひとりの意思を持った個人として、強く生きていた……私が書きたかったのは、そこだったのですが……
これからも、そういった名もない人々の物語を書いていきたいと思います。
以前にも書きましたが、『法隆寺燃ゆ』は、自称「燃える三部作」の一作目です。
残りは、『本能燃ゆ』『東大寺燃ゆ』のふたつを予定しています。
『東大寺燃ゆ』は、平重衡の焼打ち(南都焼打)により焼失し、重源たちによって再建されますが、その再建に携わった人々の汗と涙の物語です。
『本能寺燃ゆ』は、侍に憧れた少年がその世界に飛び込み、権力者たちの争いに巻き込まれ、徐々に純真な心が権力欲へと変わっていく、いわば、男の欲望と嫉妬の物語です。
今年の大河ドラマは『麒麟がくる』で、明智光秀が主人公のようなので、今年中に『本能寺燃ゆ』を書き始めることができればいいのですが……
というわけで、『法隆寺燃ゆ』のあとがきに変えてでした。
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