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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 105
本陣は物々しい様子で、兵士たちも殺気立っていた。
左馬助らの姿を見ると、みな駆け寄り、
「首尾は?」
と、興奮した顔で訊ねた。
「上々!」
その言葉に、誰もが喜んでいた。
陣幕に入ると、十兵衛は床几に座していた。
目を瞑り、両手は腹の前で『法界定印』を組んで、まるで高名な禅僧のように、静かに座禅を組んでいた。
周辺の喧騒が嘘のように、陣幕のなかは耳が痛くなるほどの静寂で、ときどき弾ける松明の音だけが異様に響いていた。
「十兵衛、やったぞ!」
上擦る左馬助の声に、十兵衛はゆっくりと目を開いた。
その瞳は、松明の光にめらめらと輝き、まるで罪人を甚振る鬼神のようであった。
「大手柄は、権太殿だ」
十兵衛の鋭い視線が向けられて、少し怖かった。
「首は?」
静かに口を開いた。
「う、うむ、すまぬ。思ったよりも火の回りが強くて、取れなんだ」
ぎろりと左馬助を睨みつける。
「だ、だが、弾正を仕留めたのは確かだ。そうであろう、権太殿」
太若丸は頷く。
「うつけが!」十兵衛の怒声が飛ぶ、「かならず首を取れと申したではないか!」
何事かと、兵たちが陣幕を覗き込む。
「し、しかし、あの火の勢いでは、体も残らないであろう」
左馬助は、困惑しながら答える。
「首がなければ、弾正を仕留めた証にならんではないか!」
これほど激昂する十兵衛を初めて見た。
「う、うむ、すまぬ。ならば、火が消えたら、遺体を探して………………」
「もうよい、それは別のものにやらせる。左馬助、おぬしは安土を攻めろ。仮に弾正が生きておれば安土に帰ろうし、死んでおっても、今後安土が織田勢の拠点となろう。その前に安土城を乗っ取れ!」
「あ、あい分かった」
左馬助は、すぐに向かおうとしたが、
「ああ、も、もうひとつ、とらえた小姓らはどうする? 顔の真っ黒い南蛮人もおったが」
と、恐る恐る訊ねた。
十兵衛はしばらく考えたあと、
「小姓らは放してやれ。その南蛮人も、主を亡くしたのだ、南蛮寺に帰してやれ」
と、弥助の縄を解いて、南蛮寺に連れて行かせた。
十兵衛は、しばらく呆けたように明るくなった空を仰いでいたが、不意に思い出したように太若丸に目をやると、にこりと微笑んだ。
「ご苦労でした、権太殿」
ようやく、ひと心地つけた。
左馬助が安土へと飛び立ったと入れ替わるように、妙覚寺を攻めていた部隊からの使番が駆け込んできた。
「三位中将は、妙覚寺から二条へ」
「どういうことか?」
信忠は、次右衛門らが取り囲む前に、本能寺が襲撃されたと聞いて、信長を助けに妙覚寺から飛び出したらしい。
だが、すでに本能寺は取り囲まれ、大炎上中、これはまずいと妙覚寺に戻ろうとしたが、そちらも取り囲まれ、戻れなくなり、京都所司代村井貞勝の勧めで誠仁親王のいる二条新御所に入って立て籠もった。
これを、第三陣として遅れて京へと入った斎藤内蔵助が取り囲んだらしい。
次右衛門らも、すぐさま陣を二条へと移し、攻撃をしているようだ。
「それで、春宮様は?」
村井貞勝が内蔵助と折衝し、二条にいた公家衆とともに禁裏へと逃がしたという。
「何故火急のことで御所車もなく、徒歩でござりましたが………………」
里村紹巴が荷車を用意して、これに乗って御所に入ることができたそうだ。
十兵衛は、ほっと胸を撫でおろしていた。
当然だ、織田家を討つのが目的なのに、誠仁親王にもしものことがあれば、目も当てられない。
ほっとしているところに、次の使番が駆け込んできた。
「次右衛門様、討ち死に!」
「なに!」
二条を攻めていたとき、鉄砲で討たれたとのこと。
「次右衛門がか………………」
唖然とする十兵衛に代わり、太若丸が戦況は如何にと問う。
「敵方も京中から続々と援軍が駆けつけ、敵味方入り乱れての大混戦となっており、いまだ勝敗はつかず」
相手側も必死に防戦。
一方味方も、隣の近衛邸の屋根に上り、そこから弓矢を射かけるななどして、激しく攻撃。
して、信忠は?
「恐らくは、いまだ二条の中かと………………」
そうこうしているうちに、第三の使番が駆け込んできた。
「戦況は、我らに有利! 織田家臣らの中には、降伏するもの、自刃するもの、逃げるものとでてきており、最早敵将を守るものもなく」
そして第四の報せで、
「二条城を抑えました」
と、信忠の陣営が軍門に下ったことを知った。
戦死したものは四百とも五百とも、その中に連枝衆の織田長利、織田勝長、側近として仕えていた斎藤利治、京都所司代の村井貞勝・貞成親子、菅屋長頼、福富秀勝、野々村正成、団忠正らの名があった。
それで、肝心の信忠は?
「捕えた敵方のものに訊ねたところ、自刃したとのこと」
「首は?」
「もっか全力をもって探索中」
「小僧の首もか!」、使番に怒鳴り上げる、「探せ! なんとしてでも探し出せ!」
使番は、慌てて飛び出していった。
「首……、首がなければ………………」
こんなに焦る十兵衛ははじめだ。
その気持ちも分かる。
首がないことには、相手を仕留めたとはいえない。
もしかしたら、生きているかもしれない ―― 信長は、間違いなく死んでいるが。
他の武将も、信長や信忠が生きているかもと、今後の進退に影響してこよう。
なんとしても首を見つけ、信長・信忠親子を誅殺したと宣言せねばならない。
どうしても必要なのだ、あの首が………………太若丸は悔やんだ、あのとき、信長の首を落としていれば………………