私の海馬を使うから
彼女の名前は、ひかり。
名付けてくれたのは母方の祖母。祖母の名前は「照子」。祖母の「照」のイメージから「ひかり」と名付けてくれた。
名前は親からの初めてのプレゼントだとかよく言うけど、ひかりの名付け親は、祖母の照子である。
ひかりは、偏差値の低い学校だけど、愛想も愛嬌もあるから、みんなから愛されていた。
そんなひかりの【家族】をテーマにした作文を紹介します。
【照子さんへ】
第一高校2年1組 田代 ひかり
私は、おばあちゃんのことを「照子さん」と呼んでいます。
照子さんは、物知りで優しくて、お茶目でかわいい人です。母がパートをしてる間、照子さんの家で一緒に留守番するのが、小さい頃は当たり前でした。
自他共に認めるおばあちゃん子で、お母さんと手を繋いだ回数より、照子さんと手を繋いだ回数のほうが、圧倒的に多いんじゃないかと思います。そりゃ、記憶に残らないくらい小さな頃は、お母さんのが多かったのかもしれないけど、私は照子さんとの時間のほうが強く印象に残っています。
照子さんはいつも笑っているし、私達のことも笑わせてくれます。
お茶飲む?と牛乳を出してくるし、ダメージデニムの加工を縫い合わしてくれたり、スカートが短いと、寒いからといまどき珍しい真っ白なタイツを渡してくれます。照子さんの中では、私はいつまでたっても6歳くらいなんだと思います。
そんな照子さんは、最近、物忘れが酷くなりました。保育士さんだったので、昔の記憶から私達の名前を当てようとします。りえ、さち、みゆき。どれも親族にはいない名前です。創作ネームも作るようになりました。照子さんの息子はキンゾウおじさん、娘にはカズコという私の母がいます。母のことを呼びたかったんだろうと思うけど「きんこ!あ………かんこっ!」って間違えてて、照子さん含めてその場にいた人全員で笑いました。
寮に入ってる私は、最近あまり照子さんに会えていません。母から照子さんが、アルツハイマーになったと聞きました。母のことも忘れてる日があるそうで、会いに来るなら覚悟しろと言われました。
先日、会ってきました。照子さんは大きく手を広げて私を抱きしめて「ひかり」とちゃんと呼んでくれました。でも、来年は覚えてないかもしれないです。もしかしたら、明日には私のことが、わからないかもしれないです。それでもいいと思います。嫌なことは忘れてしまえばいい。嬉しかったことは、私が覚えておいて、何度も伝えてあげることにします。そしたら照子さんの記憶は、全部嬉しかったことになると思うから。
照子さん、一昨日、理科で習ったばかりの「海馬」を、照子さんに貸してあげるよ。照子さんがいて、お母さんがいて、私がいれることを感謝してます。返せるものは少ないけど、まだまだ若いこの海馬、照子さんのために使います。どうか長生きしてください。
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母がこの作文を見つけ、照子さんに持っていったその時、すでに照子さんの病状は、家族の誰をも認識出来ないくらいに進んでいた。
アルツハイマー型認知症とは、海馬が萎縮する病である。
うまく信号が伝わらないだけで、記憶そのものがなくなったりするわけではない。例えるなら、引き出しを開けにくくなった箪笥のような感じだ。
照子さんの海馬の中には、ひかりがくれた作文も、きちんと保存されている。
開けれない引き出しは私があけてあげる。
私にも同じ内容の引き出しを作ってあげる。
そしたら、何も忘れない。誰も忘れない。
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