早期退職そしてアラフィフ転職の体験談
私は、47才の時に早期退職し、その後15年以上転職を繰り返しています。早期退職と転職が珍しくなくなった昨今、自分の経験談をまとめておくのも良いかと思い立ちました。世間一般の常識とは幾分異なる話になるかもしれませんし、そんな話、参考にもしたくないと思われるかもしれませんがご容赦のほどを。
私はそこそこ名の通った私大を卒業後、本郷に古めかしい門を構える大学の修士課程に進学しました。昨今では学歴ロンダリングとも呼ばれるようですが、私自身の体験としては、そんなよそ者扱いを受けた記憶は全くなく、楽しく充実した2年間を過ごせましたし、その後の人生の礎になったという実感があります。
修士終了後、化学系企業に就職し、今にして思えば若気の至りでやりたい放題の挙句(注1)、7年で転職してしまいました。歴史的と言われた円高が進行中で、1ドル160円を割ったら日本の輸出産業は壊滅するなどとまことしやかにささやかれていた時代です。(振り返って見れば、1ドル80円を割ってもその会社含め輸出産業はしっかり生き残りましたけど。)
恩を仇で返すような退職を後悔していた私は、転職先の外資系企業が企業合併で名前が変わろうが事業所再編で住む場所が変わろうが会社にしがみついておりましたが、事業所閉鎖に伴う早期退職募集(とその退職金加算)に心を動かされてしまいました。それが47才。50台を目前にした時のことです。
「こないか?」
「行きます!」
と、誘われるまま、海外企業の日本オフィス立ち上げの話に乗り、
「ぐふふ、将来は、日本支社の代表かも……」
などと、ほくそ笑む私に、
「おい。そこから先は闇だぞ。それでもいいのか?」
と、今の私なら、その時の私に一言忠告したかもしれません。
退職金加算があるので、この先3割減の年収でも大丈夫と、その当時言われていた話を鵜呑みにしていた上に、年収アップは確実とのことで、後先考えず早期退職に応募。上司には後悔するぞと言われながらも、またもや飛び出してしまいました。そして、あの会社、実は良い会社だったなとつくづく思うのも後の始末というお約束付き。それでも、そのグローバル企業で15年間働いたという実績は、後の転職でまるで通行手形のように役立ったのは事実です。
リーマンショック等の経済的外因とその他の要因が重なった結果、責任を取らされる形で解雇。それを言い渡された瞬間は、まさしく頭の中が真っ白になりました。息子二人はまだ学生でこれから学費が重くのしかかる時期、家族を露頭に迷わせてしまうのでは。そんな思いを胸に転職エージェントに面談に出向く50才を目前に控えた日々の中、幸い、とあるオーストラリア人に拾ってもらえました。もはや後戻りは出来ない人生3度目の転職、私にとっての恩人です。
転職先は、業種は同じでも職種は全く異なる法人営業職。仕事内容は異なるけど、コンタクト先は今までと同じ職種の人達というのが救いでした。本社は米国、次々と研究所を新設したり、展示会でCEOが馬に乗って登場したり、クライアントとのディナーのためクルーズ船を貸切ったり、トップセールスの賞品がスポーツカーだったりといった、派手好きな会社でしたが、あえなく業界再編の波に飲まれました。合掌。
その後も、元同僚に誘われたり、転職エージェントに声を掛けられたり、また首になったり(涙)で、海外企業で転職を繰り返して今に至ります。改めて振り返って見ると、色々ありましたけど、結局、楽しめたというのが実感です。そのため、転職を繰り返したことは後悔していません。むしろ、海外ではキャリアアップのために当たり前のことですから。転職回数が多いと、今でも海外の転職エージェントに目を付けられます。そして、互いに持ちつ持たれつなので、オンライン面談は気軽に応じています。私のような老兵でも、首尾よくどこかのポジションに押し込めれば、エージェントは年収の3割を報酬として転職先から貰う仕組みです。そのため、希望年収は高ければ高いほど良いという世界です。もちろん、日本企業ではあり得ない話です。
今は、インドに本社がある会社で働いています。そのため、年2~3回程インドに行っていますが、つくづく興味深い国で、弾けるような熱量とバイタリティに毎度触れて刺激を受けます。そんなインド滞在記についてはいずれ記事にしたいと思ってます。
とは言え、気が付けば私も年金受給を目前に控えた身。数字のプレッシャーに晒される現職にいつまでしがみつけるのか、明日は分かりません(いつものことですが)。大口の契約を取り損なう度に冷や汗をかく日々です。その一方で、天下の悪法在職老齢年金制度による年金支給停止を避ける算段にも頭を悩まされます。
同業他社の大先輩は、80才を過ぎて法人を立てたり自ら働き続け、自転車で台湾を一周したいなどと言う超人です。その先輩から、
「歳を理由にしちゃいけないよ」
という言葉を頂いているので、私ごとき若輩者、まだまだ弱音なんか吐けず、元気に働きたいと思っています。
(注1): 言い訳させて下さい。やりたい放題出来たのは、直属の上司のおかげでした。
「君は競走馬だ。走るしか能がないんだから、とにかく走れ。尖って見せろ。後先のことは俺がなんとかする」
と、配属初日に言われたのを憶えています。かっての日本企業にはそんなことを平気で言う上司がいたのです。
また、別の上司からはグループ全員を自腹で船に乗せ、島の船宿で御馳走するといった歓待を受けました。そうやって受けた温情を何一つ次の世代に引き継げなかったことが私の一番の後悔です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?