「今はティーチングじゃなくてコーチング」という発言に対する違和感
広域性通信制高校サポート校を運営している佐藤裕幸です.サポート校運営以外に,増進堂・受験研究社の客員研究員とか,区立中学校の総合学習ファシリテーターや学習支援,最近では,『シン・ニホン』公式アンバサダーを“サトティー”というニックネームで始めました.
「教育現場が本当に“人間味溢れる場”となるために」〜「私は『シン・ニホン』をどう読んだか」〜
最近よく耳にする“コーチング”という言葉.教員向けのセミナーに参加すると,「今の時代,教員はティーチングじゃなくてコーチングのスキルが必要」みたいなコメントが結構頻繁に耳にすることがありますが,どことなく違和感がありました.今回はその違和感について少し話したいと思います.
コーチングとは?
そもそも僕はコーチングを理解しているか微妙なところもありましたので,まずは調べてみました.
コーチの由来→「コーチ」は、中世ヨーロッパで交通の要所で馬車の産地だったハンガリーの「コチ」(Kocs)に由来し、鉄製のサスペンションを使った快適なコチ産の大型馬車が「コチの馬車(コチ・セケール)」と呼ばれるようになり、ヨーロッパに広まり、「コチ」は500年間「人を目的地まで連れて行く」ための「手段」であると認識されていた。そこから転じて、1830年にオックスフォード大学の学生間のスラングにおいて、試験対策のための家庭教師(private tutor)が先の「目的地に連れて行ってくれる手段」の意味に引っ掛けて「コーチ」と通称されていたことが由来となって、インストラクターやトレーナーをも指すようになったとされる。これが広まり、1861年にはスポーツのトレーナーもコーチと呼ばれるようになった。その後、1900年以降スポーツを中心として使用され、1950年代にビジネスマネジメントの世界でも使われ始めた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コーチングとは→① 一般的な英語のcoachingの意味であり、運動・勉強・技術などの指導をすること。
② 促進的アプローチ、指導的アプローチで、クライアントの学習や成長、変化を促し、相手の潜在能力を解放させ、最大限に力を発揮させること目指す能力開発法・育成方法論、クライアントを支援するための相談(コンサルテーション)の一形態。ただし、世界的に合意された明確な定義は存在しない。
③ coating(物の表面を覆う)のカタカナ転写の一つ、食品分野で使われる。一般的にはコーティングである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今回取り上げたいのは,② についてです.学校現場という観点で言うと,クライアントに該当するのは,生徒ということになるのでしょうか?
ちなみに「クライアント」とは
→1 得意先。顧客。特に広告代理店が広告主をさしていう語。また、弁護士、会計士、建築家が依頼人をさしていうこともある。
2 カウンセリングなどの心理療法を受けに来た人。来談者。
3 コンピューターネットワークにおいて、さまざまな機能を提供するサーバーに対し、その機能やデータを利用する側のコンピューターのこと。家庭でインターネットを利用する際のパソコンなど。また、サーバーが提供する機能やデータを利用するための、ブラウザーなどのソフトウエアのこと。
出典:goo 辞書より
という意味ですが,果たして1〜3に生徒は該当すると言っていいのでしょうか?1・2に該当する人は,いずれもお金を払ってサービス受けている人と考えられるし,3に関しては人ですらない.
したがって,生徒に向かってコーチングをするという発想になんとなく行きつかない部分があるんです.
部活動顧問は,「コーチング」を体得している?
部活動の顧問の先生が,コーチングを学んでから顧問をしているかが結構疑問にも感じています.さらに言えば,外部から招かれたコーチが,学校や部活動を「クライアント」として見立て,コーチングの技術を取得した上で,コーチをしているのかも正直どうなんでしょうかね?単に過去の実績のみで,自分の体験のみで指導している人も多いように思うのですが...
“ティーチング”と“コーチング”は二項対立概念なのか?
そして何よりも違和感があるのは,“コーチング”力があれば,本当に教員はいい教員と言えるのであろうか?ということです.“ティーチング”が全力で否定される部分がどうも引っかかっています.
因みに“ティーチング”とは,「教えること」です.教えることはそんなに悪いことですかね?
例えば,野球部に所属しているある生徒がバッティング練習をしていて,コーチがスイングチェックをしていたとします.その生徒のスイングは明らかに腰に負担のかかるものであり,いずれ腰を痛めそうなのは明らかです.そのような時コーチはどうしますか?
勿論,「なんでそんなスイングするんだぁ!ダメじゃないか!」みたいに怒鳴って強制しようみたいのは論外です.その生徒のいい点を見つけ誉めながら伸ばそうともするでしょう.
しかし,どこかの場面で改善が必要なところを“教え”ながら,生徒と対話し繰り返し練習しながら,より良いスイングを身につけてもらおうとするのではないでしょうか?
つまり,ティーチングとコーチングは二項対立ではなく,状況に応じてうまくミックスしながら進めることが重要なのではないか?そういうことを全部ひっくるめて,“コーチング”というのではないかということです.
簡単に「こうすると学習者中心の学びを作る先生になります」という雰囲気
この文章を書いているときに,こんな記事に出会いました.
有料記事ですので,残念ながら有料会員でないと読むことはできませんが,記事の中で,竹村詠美氏は,「簡単に『こうすると学習者中心の学びを作る先生になります』とは言えません」と語られていましたが,まさにその通りだと思います.
いくつかのセミナーを受けたから簡単にファシリテーターの力がついているわけでもありませんし,そもそも学校現場は同じ環境はひとつもありません.同じ学校ないでもクラスの雰囲気はバラバラですし,クラスを構成している生徒それぞれが全く違う個性を持っているわけです.
それをあたかも「これをすれば大丈夫」的な発想でものを伝えることは,本当に危険だと思います.
「今の時代,教員はティーチングじゃなくてコーチングのスキルが必要」というフレーズをテンプレートのように使ってしまっては,結局これまでの教育と変わらない,思考停止の状況が続いてしまいます.
教員の方々は特に学ぶことが好きですので,学んだことの活かし方次第では,本当の意味での素敵な学びの機会を子供たちに示していくことができるはずです.
素敵な学びの機会が生まれることをこれからも一緒に模索していければと思っています.