美術館散歩 #6 フィレンツェとオルチャ渓谷の景観
2019年に訪れたイタリアの美術館を数回に分けてレポートします。
今回からフィレンツェです。
フィレンツェは街自体が美術館だとよく言われます。
なので、今回は拡大解釈して街の景観そのものを取り上げていきます。
銀行業で財をなしたメディチ家がやがて政治を支配し、多くの芸術家を庇護、育成し、この街が形作られました。
タイトルの写真はミケランジェロ広場から望むフィレンツェ歴史地区です。
アルノ川の向こう、中央やや左に見えるドームがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、左端の塔がヴェッキオ宮殿です。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて建設されました。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大。
その脇に建つジョットの鐘楼はジョット・ディ・ボンドーネにより設計されたのでこの名があります。
ジョットはそれまでのビザンティン美術を否定し、人物の自然な感情表現、三次元的な空間表現などを取り入れ、当時の美術絵画に革命を起こした人物です。
恐らく彼がいなければ、華麗なルネサンス芸術も生まれなかったとも言われています。
ヴェッキオ宮殿はかつてのメヂィチ家の居城で、今は市庁舎として使われています。
日本で言えば鎌倉時代の建造物。今も現役で使えているのだから驚きです!
美しいファザードです。
フィレンツェの鉄道駅はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(SMN駅)と言ってこの教会の直ぐ側にあります。
ちなみにこちらはサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。
もともと、修道士が育てた薬草から薬などを作ったことが始まりのようで、
世界最古の薬局と呼ばれています。
日本にも銀座などに店舗展開していて、今や高級ブランドとなっています。
そして、ヴェッキオ橋。
橋の上に建造物を造るという発想は日本にはないですね。
建造物にはジュエリーショップが多く入っています。
そして橋の上部にはヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿まで続く「ヴァザーリの回廊」と呼ばれる通路が通っています。
さて、景観=美術館という拡大解釈を更に広げてトスカーナはピエンツァに移ります。
バスを乗り継いで行けるようなのですがフィレンツェからレンタカーで向かいました。
トスカーナの丘陵地帯をドライブしたいと思ったのは村上春樹氏の紀行文「ラオスにいったい何があるというんですか?」の中のこんな一文を読んだからです。
こんな場所をドライブしたらどんなに素敵だろう。
どうしても行ってみたい。いや、絶対に行くべきだ!
と、無謀にも思ってしまったのですね。
海外ではアメリカのだだっ広い道を走ったことしかない自分でしたが、何とかなるだろうと思っていました。
が、これは難行苦行の連続でした。
まず、イタリア人はこち亀の本田よろしく、ハンドルを握ると人格が変わる人が多く、あおり運転常習者ばかり。
ただ、運転は皆本当に巧いですね。狭い石畳の道をかっ飛ぶタクシーは街道レーサーばりです。
また、ITがらみのシステム機器がいい加減。例えば駐車場のゲートが通常チケットを取らないと開かない筈なのに開いてしまう(そのまま入るとチケットが無いので出ることができない)とか。
そして、多くの歴史地区にはそこの住民しか通れない道があります。当然レンタカーは通れません。この禁を破ると相応の罰金が日本まで追いかけてくるそうです。その道を避けるため、同じ道をループしてしまうことが何度かありました。
さらに、田舎に行くと英語が通じない局面が多々あり、イタリア語がからきしダメな自分にはとても難儀でした。
それでも、その苦労に見合って余りある景観に出会えました。
また、様々なトラブルに遭遇しても、不思議と助けてくれる人が現れてくれました。
自然と人間が織りなした豊かな景観と、人との温かい交流は村上春樹氏が言うとおり、「人生におけるひとつのハイライト」になりました。
オルチャ渓谷はもともと粘土質の土壌で栽培に向かない土地だったところが、300年に渡る土壌改良の結果、現在の田園風景が誕生したそうです。
2004年に世界遺産に登録されています。
訪れたのは8月で穀物が刈り取られた後だったのですが、初夏には一面緑になるようです。
中世の景観がそのまま残るピエンツァは1996年世界遺産に登録されました。
私たちはピエンツァの小さなホテルに一泊しました。
そのレストランから、草原の彼方の山々を赤く染める見事な夕景が望めました。
「ゆっくりと物静かに、時間をかけて育ったサンジョヴェーゼ」から生まれたキャンティクラシコを頂きながら、オルチャ渓谷の夜は静かに更けていきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。