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美術館散歩 #12 スフォルツェスコ城

2019年に訪れたイタリアの美術館を数回に分けてレポートしてきました。
今回が最終回。スフォルツェスコ城です。

フォルツェスコ城(スフォルッツァ城)は、元々は14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家の建てた居城でしたが、その後、ミラノの支配者がスフォルツァ家に移り、1450年にミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが城を改築したことでこの名があります。
現在は美術館、博物館となっています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「アッセの間の天井画」

城の一階、アッセの間には桑の枝葉で天井を覆うレオナルド・ダ・ヴィンチのテンペラ画があるのですが、それが壁まで続いていることが確認され、2013年に始まった修復で蘇りました。

プロジェクションマッピングのショーで解説されていたのですが、イタリア語が分からず、英語の字幕が出るものの早すぎて追えず、結局訳が分からなかったという情けない結末。

そして、別の棟にはミケランジェロの未完の遺作、ロンダニーニのピエタがあります。

ミケランジェロは八十九歳で死ぬ数日前まで、この作品に向かっていたといいます。死の床のかたわらにも、この像があったそうです。

このピエタ像は、ローマで作られましたが、ロンダニーニ宮に所蔵されたあと、一九五二年にこの城の美術館に置かれました。

前述の通り、ピエタ像はこの作品だけが展示されている別棟にあります。
一度美術館を出て、この展示室に再入場する必要があるのですが、間抜けにもチケットをどこかに落としてしまい、入場できなくなりました。
でも、どうしても観たいと思い、チケットを買い直しました。
どうしても観ておきたいと思ったのは、わが師、池田大作先生がこの作品を観たときの印象を綴った一文に出会ったからです。
少々長いですが、その抜粋を引用します。

ミケランジェロの最後のこの作品は、未完で洗練されていない分、むきだしの迫力で迫ってくる。
子を抱く母、死して母のもとへ帰った息子― その「悲痛」と「安心」が飾りけなく、直載に胸を打つ。
私は直感した。 ――息子はミケランジェロ自身であろう。長く、複雑な人生の終わりに、彼は“母”のもとに帰ったのだ。
「安穏」をもたらしてくれるのは、よそよそしく、はるかなる神ではなく、聖職者でもない。人間しかない。母しかない。生身の人間の慈愛しかない。その象徴が、この母の像である。

ミケランジェロの作品はすべて、肉体的な美が極限まで表現されている。しかし、この像には、まったく、それがない。純粋に精神そのものが表現されているかのようである。
たとえば、母と子は、かつてひとつだったように、もう一度、溶けてひとつになっているかに見える。
母が子の上にかがみ、抱いているのだが、子が母を背負っているようにも見える。
死が二人を引き離したのだが、死が二人を結びつけたかのように見える。
子の体は地に倒れようとしているのだが、母のいる上方へ引き上げられているかにも見える。
ミケランジェロは、この作品で、自分自身の“魂を彫った” のだと私は思う。

ミケランジェロは終生、「人間」の精髄を求め、「人間」の醜悪をとことん味わい尽くしながら、なおも「人間」の至高の美を究めんとした。母子像は、そんな彼の生涯の集約であり、到達点でもあった。

ミケランジェロは生まれてまもなく、里子に出され、父母から離されている。また、彼の母は、彼が六歳の時、死んでしまった。彼には母親についての思い出はなかった。
ミケランジェロが母親について、どんな感情をもっていたかはわからない。しかし人一倍、母性や母の愛というものに敏感であったことは、確かなようだ。あるいは彼にとって、母とは、自分を現世に送りだしてくれた “大字宙” のシンボルだったかもしれない。
そう見るとき、臨終を前にした彼は、死によって「母なる宇宙」に融合する願いを、この像にこめたのかもしれない。

池田大作全集第84巻


幸い鑑賞者は少なく、午後の柔らかい日差しが差し込む展示室は静寂が支配していました。
ミケランジェロが死の間際まで鑿を振るい続けたその作品には、彼の魂魄が宿っているように思えました。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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