人事と一口に言いましても。

最近、Twitterで人事やHR系の方と交流するようになって、私がこれまでどんなキャリアを歩んできたのか聞かれることが増えましたので、今回はその話をしたいと思います。

 自分は1998年に大学を卒業し、この4月で23年目に突入します。そのうち新卒から10年半勤めた教育系の会社以外はいわゆる人事のお仕事で、これまで3社の人事を経験しました。でも一口に人事といっても3社それぞれ全然違う仕事をしてきました。

 2008年10月から務めた人事1社目は採用のお仕事。しかも医療法人で看護師の採用をすると言うものでした。従業員2000人を抱え、名古屋から岡山まで10カ所以上の病院やクリニック、老健施設のあるグループの採用です。未経験で飛び込んだ医療業界。最初は病院の看護師の人員配置を表す7:1とか、病院の機能を示す「急性期」等という言葉の意味も理解していませんでしたから、現場の管理責任者から信用してもらうまで時間がかかりました。でも、コミュニケーションをとりながら知識を習得し、教えてもらう姿勢から現場から可愛がられるようにもなり、だんだん仕事もうまくいくようになってきました。

 ただ、看護師は超売り手市場。採用活動はとても難しく、ハローワークや看護学校を飛び回り、また全国の人材紹介会社との連絡をとり、そして年に何回か合同就職説明会にも出て、毎日何かしら面接活動をしてた気がします。オフィスでデスクワークをしていたら、上司から「そんなところで仕事をしても採用はできないぞ!探してこい!!」と言われるような環境でした。人事とはいいながら「人材開拓」の営業のような仕事でした。

 この会社で二年半働きましたが、採用だけに特化した人事であったため、採用後の入社はおろか、その先にある定着支援、労務管理やその他もろもろについては別のセクションが担当しており、自分は全く携わらないため、「採用がゴール」という仕事に物足りなさを感じていました。

  そこでもっと幅広く人事に携わりたいと思い、2011年4月に別の医療法人に転職しました。前職で自分は主任を任せられ、2年間で150人の看護師を採用できていたので採用にはある程度の自信を持っていましたが、それ以外の人事業務については知りませんでした。それこそ保険の得喪や傷病手当金の手続きなどなど知らないことだらけでまた勉強が始まりました。さらには、総務的な仕事もすべて任されることとなりました。従業員から呼ばれ、何かと思えば「電球切れたから替えて~」だの、「備品がないから発注して」だのと、どこが人事なんだろ?と思いながら仕事していたのを覚えています。もちろん得意とする(と思っていた)採用業務も継続して行い、看護師だけでなく薬剤師やリハビリなどの全医療職や事務職の採用も経験しました。

 この時に「何でもありが人事なんだ」ということがわかって、「すべてを受け入れる」気持ちが生まれたのもこの時期です。この医療法人では約5年半勤務しました。職場環境については、わりと恵まれていましたが、キャリアビジョンを考えた際に、今までの経験を生かして、別のステージで力を発揮したいという思いが高まり、転職を決意しました。この職場で出会った上司は、今の自分の成長を喜んでくれており、ここで出会えた縁は大切な宝物です。

 そして2017年1月より、京都にある創業100年を超える印刷会社で勤務しております。ここは前任の人事部長が他のセクションに異動されることに伴う後任の人事責任者として採用されました。自分も人事として一通りの経験は積んだと考えていたので、難しいながらも是非チャレンジしたいと思っていました。ところが…。

 前任の部長は日本でも有数の巨大企業で人事の仕事を30年近く経験されていた大ベテランで、弊社に入社して以降、人事考課制度や福利厚生制度を整備され、社内イベントを企画するなど、それこそ一つの「完成形」を築いてこられていました。そんな中に後任として入社するのはなかなかに大変でした。当然のことではあるのですが、従業員から見れば「前任あっての後任」なわけで、前任と同じクオリティを求めるのは当然だと思っていました。到底「勝てない」と思っていました。だけどたかだか人事経験10年程度の僕が、そんなベテランが築いてこられたキャリアと同じことができるわけないし、そもそも自分が採用されたのは前任と同じことをさせたいからではないと気づいてからは、肝が据わってきました。自分がやれることを少しずつやるだけだと。

 まず1年目は前任者のやったことを、ひたすらなぞる、なぞる。そして会社の風土に慣れるというところからスタートしました。自分はこうやりたい、違うんじゃないかと思いもありましたが、まずはそれはひとまず置いて、一回やってみて、「あかんかったことは、次回に、来年直せばいい」とだけ思い、毎回毎回社長や上司にダメだしされながら取り組み、なんとかこなしました。

 そして2年目は、1年目にやってできなかったことをもう一度取り組む年。この年は前年の経験からの学びがあるため、大きな失敗も減り、そつなくこなせるようになってきましたね。自信がつきました。

 そして3年目、2019年。この年は難しかったけど面白かった!! 前年の経験で自信が生まれたことで、心に余裕ができました。いつもぎりぎりで行っていたことを前倒しでできるようになり、自分なりのアレンジが生まれたり、ほかの部署の上司と相談連携できるようになったり。そうすることで、信頼関係も深まり、チャレンジの意欲もどんどん生まれました。何よりうれしかったのが、従業員の皆さんが自分の存在価値を認めてくれて、何もなくても「いてくれるだけで安心できる存在」として、僕のことをとらえてくれているのがよくわかり、それにこたえていきたい、会社をよくしていきたい、会社をよくしたいと思っている仲間同士でつながっていきたいし、その輪を広げたいと本当に思えたのがこの2019年でした。

 あともう一つ、自分を大きく成長させたのが外部セミナーとSNSの活用です。2018年の8月から9月、私は京都のグローカルセンターの「SHIFT CAMP」というセミナーに参加しました。ここで、異業種の同世代のビジネスマンとともに、「楽しく働くこと」「組織開発」について講演やグループワークなどに参加しながら、「外の世界を知る」ことの大切さを学びました。そこで人と出会い、意見を交わすことで、それまで崩すことがなかった自分や会社のあたりまえとはちがう考えを知りました。ただ、そこで得た気づきをすべて受け入れるのではなく、いったん受け止めて、「自分の立場に立ち返って考える」視点を得ることができました。

 また、このセミナーで未来電子テクノロジー株式会社の福本真士社長の講演を聞き、「自分をブランド化し発信することの大切さと、そのためのTwitterの運用」を勧められたことから、Twitterを実名アカウントに切り替えたのもこのころです。実名アカウントに切り替えて何を発信するか、これも考えたのですが、せっかく10年くらい人事として働いてきたので、そこでの気づきを発信しようと考えました。

 このTwitter発信が大きな転機となりました。同じ人事やHR界隈の方をはじめ、学生さんや起業家の方と幅広くつながることができ、交流が深まりだしました。Twitterでのやりとりはもちろん、実際にお会いしてお話を聞いたり勉強会に参加させていただいたり。ここでも「外の世界を知る」ことで自分の幅が広がっています。2020年も頑張って発信&交流を続けていきたいです。

 そして仕事については、今年2020年は、人事はもちろん、より経営企画の領域にチャレンジする1年になりそうです。わが社で働く人が、「当社だからこそ長く働きたい、自分の価値を高めながら会社の価値も創造したい」と思ってもらえるような会社作りをしたいし、それを発信して、当社に興味を持ってもらえる人を一人でも増やせるように頑張っていきたいと思っています。

 




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