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ITじゃない起業に価値はない
前回の「スタートアップ支援」やそれを行う方々への違和感をしたためてから、ではなにが自分の立場にとっての正解かということを1ヶ月考え続けた。
その結果たどり着いた結論をタイトルにしたら煽り記事みたいになったので先に謝っておこうと思います。
別に店舗出店とかスモールビジネスと呼ばれる起業形態をディスりたいわけじゃなくて。なにか根本的に自分が学生の頃に出会い惹かれてその先の人生を導かれた「スタートアップ」と呼ばれる所業とは異なる気がしていて、そこをしっかり言語化したいという意図が強いのでトゲのある言葉になっていたらご容赦ください。
20歳くらいのころからなんとなく色んな人に導かれ僕が取り組んできたスタートアップなる所業はいったいなんなのか。なににそんなに熱を上げてここまで年月を重ねながら生きてきたのか。
そして、今日本中で注目が高まりながらも個人的には違和感を感じてしまっている「スタートアップ」という言葉との差分の正体はなんなのか。
まずは違和感の大元となりそうな言葉に真剣に向き合って考えてみた。
「起業」の種類を「スタートアップ」と「スモールビジネス」にわける、的な説明を本や講演などで数えきれないほど聞いてきた。自分もそう話すこともないわけではないが、どうもしっくりはこない。そこに答えはなさそうだ。
言語化できない気持ち悪さをどうすれば解消できるのかと考え続けた結果、自分が惹かれてきた所業としてのスタートアップのことをもっとちゃんと言語化しようという気になった。
最初に蘇ってきた記憶は2015年に開催されたSLUSH ASIAだ。このイベントでたぶんスタートアップという言葉を初めて強く認識したのだと思う。同世代のワカモノが世界を変えているんだな、挑戦するかっこいい会社が世の中にはたくさんあるんだな、という発見は自分の中でたしかに大きかった。
が、この気づきに被せるとすると今回の問題は「なぜかっこいい会社とかっこよくない(と僕が感じる)会社があって、最近の『スタートアップ』と呼ばれる会社や活動は全てがかっこいいわけではないのか」ということだ。SLUSH ASIAの記憶は僕にとって大変重要な意味を持ってはいるが、そこに戻っただけではどうやら今回は解決はしなさそうである。
さらに記憶を戻すと、始めて「学生起業」というカルチャーを知ったのは大学1年生の夏休みになる。中高大が同じで、部活も被っていた1つ上の先輩が学生起業してアプリの開発をしていた。まだ開発途中に声をかけてもらい、夏休みだったこともあってそのタイミングでインターンとして1からプログラミングを学ぶきっかけをつくってもらった。PHPの分厚い本を渡されなんとか動くシステムを作れるようになろうと毎日必死に取り組んだが、(これは今でもだが)いまいちエンジニアとしての適正は高くなく結局事業にはほとんど貢献できなかった。
とはいえ、当時まだReactやFlutterのように大きなシェアのものが存在しなかったいわゆるクロスプラットフォームのライブラリの存在を教えてもらい、よくわからないなりに自分でコードを書いてシステムを動かし試行錯誤してみた初めての経験は今の自分に直線的につながっているように感じる。もしかしたらそこが始まりだったのかもしれない。
最初に書いた課題感にだいぶつながってきた。
自分の人生の中で大きく惹かれたこととして、次に思い出したのは2つの大学の授業だった。「デジタル家電の興亡」「キャリアと情報」といういかにもな講義名。
デジタル家電の興亡はわざわざ理工キャンパスで開催されていた授業を受講していたのだが、パイオニアやAppleを経て日本ポラロイドや日本ビクターの代表を歴任された伊藤裕太さんが受け持っていた。
日本がハードウェアを席巻していた時代の家電や、その後のコンピューターの発展の歴史を学ぶ内容だ。アラン・ケイ、スティーブ・ジョブズなどコンピュータの発展に大きく貢献した方々の功績や、メディア技術そのものの発展の歴史、これからの未来の話に毎回ワクワクさせられてばかりだった。
キャリアと情報は本当にいろんな出会いがあった授業なのだが、海外VCから資金調達をしているスタートアップの代表でメディア技術の博士号を持つ方がシリコンバレーについて教えてくれたり、Appleについて長年研究している講師の方によるApple/ジョブズ論など毎回興味深い講義の連続だった。
余談(というと失礼かもしれない)だが、音楽業界でイベント会社の代表をされている方による音楽ビジネスの移り変わりの講義の回もあり、その後の人生への影響という意味では僕にとって濃縮されたエッセンスだらけの授業だった。
この2つが強く記憶に残っていて、これまでの人生に大きく影響を与えられたことに気づいたところで、冒頭の違和感と自分が惹かれているものとの差分がだいぶ見えてきた。
「IT」だ。
もはや当たり前すぎて強く考えることもなくなっていたのだが、自分が小さい頃から無意識のうちに心躍らせてきたのはIT、つまり情報技術の進化でありそれによる表現の進化だ。
小学校に入る前くらいに父親が家にPCを買ってきて、たぶん妹も一緒だったのだろう、サンリオのホームページを見せてもらったことをぼんやり覚えているのが僕のコンピュータに関する最も古い記憶だ。そこから簡単なホームページをつくったりするようになり、音楽を始めてからはDTMに夢中になった。大学では前述のようなコンピュータに関する俯瞰した歴史なども読み物的に面白がりながら、ちょうどiPhoneが出てアプリの開発にハマった時期もあった。社会人としてのキャリアの始まりも事業会社だったがシステム職だ。
もしかしたら冒頭や前回から書いている課題感は、僕が感じてきたこのIT/情報技術に対する興奮を、今スタートアップという言葉を知り起業に興味を持ち始めた人たち(や、もっと前の義務教育段階の子どもたちなど)にどう肌で感じてもらうのかという話なのかもしれない。
小学校からスマホを当たり前に持っている世代に、同じ感動とワクワクを感じてもらうにはコンテンツはかなり違うものになるのだろうとも感じる。
ちょうど前回の記事からは1ヶ月開いたようだ。こんどは同じようなスパンでしばらくこのITの「本質的な価値」と「興奮の伝え方」について向き合ってみようと思う。