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ベランダ菜園

毎朝ベランダに出る。

それまでは出たこともなかったんだけど、ベランダ菜園を始めた5月6日からベランダに頻繁に出るようになった。毎日のように、水を遣り、肥料を与え、植物由来の殺虫剤を撒いたりしている。そして何日かおきの収穫。実のなり具合や色付き具合を毎日眺めるのも楽しい。

まるで子供の成長を見るように、丹精込めて野菜を育てている。農家のひとはそれどころではないだろうけど、プランター3つでやっている分には、それだけの余裕もできる。今朝も4つミニトマトのアイコ種を収穫して、洗って食べた。樹上で完熟されたミニトマトは皮がプリッとして、果肉は甘く、中身はジュワッとジューシーな汁で溢れ、なかなかスーパーで買ってきたトマトでは味わえない醍醐味がある。これが家庭菜園の魅力かぁと感じるのである。

それにしても一戸建てに住んでた時は、何も感じたことないし、庭にも殆ど出たことないのに、それがなくなった途端に、土が恋しくなり、植物を育てたくなる。余程、癒しに飢えていたのかも知れない。それに家庭菜園には収穫と言う楽しみもある。このコロナ禍の時代にうってつけなのかも知れない。

そしてその成長が何よりも癒されるのだ。緑のものを育てるのにこんなに気持ちが安らぎ、癒されるとは思っていなかった。だから働いていた人が引退して、第二の人生を歩む時、就農と言う形をとる人がいるのはわかるような気がする。農業には引退はあるかも知れないが退職はないし、続けようと思えば、死ぬまで続けられて、広い農地を毎回耕すことによって、毎回農作物は育つ。

そんな就農への憧れがない訳ではない。

それにはいまの自分にはない体力や、または農業の知識などもなくてはならない。始めは誰か大きな農家の手伝いに入って、知識や経験を積んでから、自分の畑を持って、土地を開墾していかなければいけないのだ。ベランダで野菜専用の土を買ってきて、ある程度育った苗を植えるのとは訳が違う。だから、ベランダ菜園止まりになってしまうのだ。きっといまの自分には難しいのだろうと思う。

これこそ自分の体力や病気を恨んだことはない。自分が夢中になれるのは、それくらいしかいまはないのだ。コロナ禍で気持ちが歪んでしまったのだろうか。それもダメだと思ってしまう。でも就農の道を模索すると言うことも大事だと思う。できなくて百歩譲って、田舎暮らしと言うのも考えて良いのかも知れない。

もうほとほと街暮らしには飽きてしまった。便利なところもあるのだけれど、「もういいや」って感じかな。街暮らしもなかなか大変だったりする。その大変の度合いや種類が田舎暮らしとは違うからかも知れない。でもいつかは田舎でのんびり過ごすのも良いのかも知れない。

、、、、と穫れたてのミニトマトのアイコを夜中に齧りながら、思うのだ。

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