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真夏日
梅雨が明けたと思ったら、突然の真夏日。今日がその日。
やはり2016年も2017年も暑い日々が続いていたなぁと思った。父も母もあの暑い夏を超えたくれた。父は大変な夏を過ごさせてしまったと思う。大事な食生活も、入れ歯が出来ず、可哀想なことをしたと思う。
歳をとってからの口腔ケアって非常に大切だと思う。入れ歯の人はぜひ、もうひとつ控えの入れ歯を購入することを勧める。使わないとダメになってしまうものなので、交互に使うのもいいかもしれない。そうすれば、壊れた時に控えがあるので、安心なのである。
入れ歯と言うのは、作るのに非常に時間がかかるうえに、食生活を支えるうえでも生命を支えるうえでも重要なポイントである。父は総入れ歯に近い入れ歯だったため、割れた時は、食生活が限定されてきてしまっていた。そして終いには食べることも楽しくなくなってしまうからだ。口からご飯を食べられないと言うことは、周りで介護をするわたし自身でも非常に辛いことである。
今にして思えば生きることに余裕がある時に、自己負担になるかもしれないが、ふたつの入れ歯を持つことが理想だと思う。ふたつの入れ歯を消毒しながら交互に使っていけば、結構最後まで精神的にも丈夫でいられたのかなぁといまでも思うからだ。あと病院の選択を間違ったため、父には最期病院で辛い思いをさせてしまった。勘違いだらけの看護と医師のわたしたち姉弟への勘違いだらけの発言で、酷いことをしてしまったと思う。
間違いはそもそもそこから起きたのだと思う。
総入れ歯を壊して、食生活がままならなくなり、身体を壊すに至った経緯もあると思う。そうすれば、選択においてあの病院を選ばずに済んだのだと。
父の死期は目前にあると充分理解していた。多分弟も薄々は解っていたのだと思う。でも患者である父とわたしの前で大きな声で「もうダメなんですよ!」と言い放ったあの医師のことをいまでも忘れない。もう5年は過ぎているのに。そしてひとのことを成金呼ばわりして、周りの病院スタッフに言いふらされたことも忘れない。成金呼ばわりはすぐに看護師婦長さんのわたしへの確認によって訂正されたことは、唯一救いだったが、最期まで酷い病院だった。終末医療を医療と思っていない勘違い医師のいる病院だった。
きっとわたしは一生覚えているだろう。あのとき、あの瞬間のことを。これこそ自分の障害とか境遇をひどく呪った。わたしが健常者であれば、あんな扱い受けずに済んだのに。父の最期が非常に不幸せだっただろうと言うことを未だに悔いてならない。そしてこうして伝えることで、多くの不幸を産み出さないようにと願っている。こう考えると父が急変して病院に入院したのは秋なのであるが、大変な夏を過ごしたその後の秋だったと言うことに気がつく。
未だに思い出して悲しい思いをするのである。いまわたしは父と母の遺影に見守られて、この文章を打っている。その中の父も母も、屈託無く笑っている。その幸せな思いを最後の最期まで保っていて欲しかった。
これは、わたしの人生の中の闇である。支えてくれようとした友人もいたが、手遅れだった。その数日後、父は最期の息を引き取った。