小説『だからあなたは其処にいる』第十七章 僕と歩いてくれますか〜高みを目指して〜
前回のお話・第十六章はこちらです
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第十七章
一
「文庫ってエッセイとか小説以外でも使うのね。知らなかった、一平って物知りだよね」
「日本の言葉は面白いね、一平ちゃん。また母さんと絵本を読みましょう」
プアン待って!
母さん、行かないで!
あ。
夢でも置いてけぼり
嫌な目覚め………
ニ
月曜日の朝って世界中の人が憂鬱なんだっけ。そんな歌があったよな。
岸田一平は会社でのさまざまな出来事をひとつひとつ思い起こしていた。
会社へ行きさえすれば賢治さんに会える毎日。まだ、ふわふわとして現実味がない。アダムで月に数回ケンジさんって呼ばせてもらってた時より、今のほうが身勝手なことを考えてみたり切ないくなるのは何故だろう。
賢治さんは歓迎会でもちっとも楽しくなさそうだった。仕事が出来る人なのに、アダムにいた時のような水を得た人魚感が0。建物だけが原因じゃないと思う。
「心配しないで。大丈夫だよ。」
家で独り言を言うようにはいかなくて、思うだけで時間が通り過ぎてしまう。さらっといいタイミングで声をかけられる大きい恋人に、いつかなれたらなぁ。
三
一平はベランダに出て朝日を浴び歯磨きをした。
シャカシャカシャカ
遠くの山々を眺める。鳥達は朝が来たのを喜んでいるかのようだ。
一平は会社へ行くことに抵抗がなくなっていたが、それを意識することもない。手早くリュックに鉛筆と消しゴム、メモ帳とスケッチブックを詰め込んだ。一平の一週間が始まる。
四
婦人部の編集室に入ると、賢治さんが元気に挨拶してくれた。よし!いいスタートだぞ。
冀州編集長が、艶のあるサイドに流した前髪を耳にかけながら話し始めた。
「おはようございます。今日の連絡事項はニつ。一点目。新入社員の小野田君と富頭君が、ニ誌の最終号は商店街の人全員に手渡ししたほうがいいと提案してくれました。既に忙しい合間を縫って配り歩き、口頭でどんどん新しい雑誌の宣伝をしてくれています。非常に頼もしい二人です。読者アンケートのことも、クライアントにはじっくりご説明したそうだから、きっといい反応があると思います。」
「二点目。ビルの管理をしていたお爺さんが亡くなりました。申し訳ないのですが、葬儀のため私はこの後お休みをいただきます。メールは遠慮なくしてちょうだいね。それを見て、私の方から時間を作って折り返します。」
「私からは以上です。みんなは何かある?なければ退社させてもらうわね。」
四
富頭賢治が、管理のお爺さんのことを小野田海人に尋ねた。
「管理人さんがお亡くなりになって、編集長が葬儀をなさるなんて。一人暮らしだったのかしら。」
友人の海人が話し相手だからか、賢治は口調が柔らかいものになっていた。
「萩原さん、ご存知ですか?」
「あぁ。あの人は、三十年程程から管理室で一人暮らしだった。家族がいない理由までは覚えとらんが、冀州編集長のご親戚だ。身寄り頼りのない人だったから、彼女が喪主をやるのかもしれんな。」
みんなが聞きたくても、ずっと聞けなかったことだ。好奇心から耳をそばだてていた人も、それさえわかればとばかりに納得して仕事に取りかかるのだった。
五
人は死ぬ。
僕は悩んでいるのがバカらしくなった。せっかく好きな人が、僕の毎日に飛び込んできてくれたんだ。愛さずにいるなんて、どうかしてる。
落ち込んでばかりいる自分じゃ、愛してもらえるもんか。呑んでグダグダ言ってないで、一緒にいられる瞬間を大事にしよう。前は外見だけ見て憧れてたんでだけど、瞳が何色かなんて些細なことだったんだ。
賢治さんが一緒に働いているなんて、起きている時間のほうが夢。僕が自分を信じて育てて、賢治さんのそばにいることを幸せって思える日が早く来るといいな。
毎日がんばるぞー!!
六
「岸田さんって視力どのくらいなんですか。私、0.03しかなくてコンタクトないと生きていけないんです」
「富頭君、話し方が…」
小声で注意した。ヒヤヒヤする。私って言ってるし、僕のことを見つめる目がアダムにいた頃みたいに熱い。カラコンをやめたこの瞳。ナチュラルなブラウンが僕を惑わすことに変わりはない。
「何コソコソ言ってるの?アイデアの出し惜しみはやめて、みんなに話しなさいよ」
須藤廣子が二人の会話に加わった。
どうしよう。何も言葉が出てこない…。僕はアドリブがきかないから芸人には絶対なれない!!
七
「先週、小野田さんと僕とで商店街の法人をまわってみましたが、後継ぎがいないかたが想像よりも多くて。会社に一番近い商店街がシャッター通りになるのも時間の問題だと思いました。空き店舗が増えていくと、当然ですがお客さんは減っていきます。そういう事態をなんとか食い止めるようなイベントを、新しい雑誌で告知して地域の方々に喜んでいただくのはどうかなって考えています。須藤さんのご意見をお聞かせください。」
「へぇ。イベントね。今までそういうのはやってかなかったと思う。商店街のイベントは、商店街でチラシを刷って新聞の折り込み広告にしたり、あとは電柱やお店の壁なんかに貼ってるよね、いつも。それをうちの雑誌が担うってなると、ちょっと印刷屋さんや新聞屋さんに恨まれちゃうかもね」
「それはそうですよね。軋轢を生まないような対策を考えてみます。折り込み広告だと、県外の方々へのアピール力が弱いから、イベントを観光の目玉にしていくんなら、うちの雑誌のほうが広く告知できます。イベントをどういうものにしたらいいか、役所のほうにも相談してみますね」
「えっ?富頭君って市役所に知り合いいるの?」
「はい。相談するだけなら可能です。イベントの協力までは恐らく無理ですが。時間がもうないから今年は民間のみでやりますけど、今年のイベントが成功すれば役所も地域振興として捉えてくれるんじゃないかと考えてます」
須藤先輩も賢治さんもよくこんなに話せるなぁ。僕は会話についていけない…。具体的に準備するようになってから考えよう。
八
婦人雑誌を二誌発行していた冀州出版の婦人部は、時代の波にのまれ新しい雑誌一誌を月刊誌として発行していく。
みな、土日祝日関係なく働くワーカホリックだ。一平も賢治も海人も。須藤や冀州編集長は公私の区別がないほど、仕事が好きだ。
日本人は働き過ぎると世界中から揶揄されても、地方都市で生き抜いている人々には関係ないことだった。
〜続く〜
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