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「学に志す」の「学」とは?

森信三『修身教授』致知出版 第7講 志学

先日40歳になり、周囲の人から「惑わずの年ですね」と言われた。
判断には迷うこともあるし、凝り固まった人間にはなりたくないと思っているのもある。
では、孔子は40にして惑わずというのはどのような意図で言ったのか?

私は15歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道を外れないようになった。

『論語』金谷治訳注 岩波文庫

ここでいうあれこれと迷わず、というのは学問のことだろうと考えられるが、これはただの国語とか数学とか、私自身がやっている教育学とかそういうことでもなさそうである。
まさに人間としての生き方、人間学のようなものであろう。
15歳で学問に志すの学問の内容自体が人間学であるが、孔子自身がどうとらえたかは、わからないままであった。
それが今回、すっと頭に入ってきた。

ではそのいわゆる大学の道とは、いったいいかなるものを言うのでしょうか。これは、諸君らもすでに一応は頃得ていられるように、わが身を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるに至る人間の歩みについていうのです。

P49

孔子は、このような覚悟を15歳で持ったのである。
私が日本社会、世界に対して教育という分野を通して貢献する、という決意を持ったのは、20歳頃であっただろうか。
採用試験に臨む覚悟を決めたときだろう。
それまでは、自分の力を全て出し尽くしても足りないくらいの人生をかけた仕事ができる、と考えて教師を志した。
つまり、自分のことを優先に考えて選んだ進路だったのである。
そのように考えると、15歳で孔子が国家社会のために貢献すると考えたのはすさまじく早い印象がある。
さらに、自己を修養してというところもきわめて驚く。
私自身が自己の修養の必要性を感じたのは、教師になって1年目。
自分はなんと浅い人間なのかと思い知ったところから始まる。
そうすると、24歳頃、ようやく学に志すことができたのである。
人間、きつい境遇に合わないと自己の修養とは考えないものだと思う。

森信三先生は次のようにも述べている。

諸君らはその生涯の学問修養をもって、この日本国の基礎たる国民教育に貢献し、大にしては民族の前途に対して一つの寄与をするだけの決心がなくてはならぬはずですが、諸君果たしてこのような決心をお持ちですか?
・・・中略・・・
もちろん諸君らも、かような話を聞かされた場合にはそれに感激もし、またその場では一応決心もされるでしょう。しかしいったんその場を去れば、多くはたちまち忘れてしまって、その感激は永続しがたいだろうと思うのです。それというのも、人間という物は、単に受け身の状態で生じた感激というものは、決して長続きのしないものだからであります。

P50

実際、大学生の時には修養し、国家社会に貢献するという強い思いを永続させることはできなかった。
大学生の時にそのようなことを思える人がどれほどいようか。
今は分からずとも、大学生たちにはこの大切さを伝えていかなければならないと思う。
人間は弱い。
だからこそ神様は試練を与えて、気づきなさいよ、と教えてくださっているのだと思う。

さて、人間修養を志し、国家社会に教育という分野で貢献していく志を立てて15年程度たった。
しかし、まだ修養中だ。
お酒に負けることもあれば、人を傷つけてしまうことだってあるし、不満を漏らしてしまうことだってある。
もうこれくらいでいいかな、と手を抜いてしまうことだってある。
そんな私だから、惑わずなんておこがましい。
惑わなくなるような修養をもっと積んでいこうと改めて思った。
惑う自分を発見し、克己心をもって修養していきたい。

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