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学ぶ意味を見つけるために必要なこと

森信三『修身教授録』致知出版 第8講 学問・修養の目標

私は教育学部の出身だ。
学生時代から授業の方法に関する本を見つけては読んでいたし、発達障害に関する知見も増やそうと努力してきた。模擬授業を行うサークルにも入って学んでいたし、先生方の勉強会にも参加していた。
そのような意味では、割と熱心に勉強していた方だと思う。
ではなぜそんな風に学んでいたのか?
一つがいい先生になるために教育学部に来ている、という目的意識を持っていたこと。
もう一つが当時話題になっていた学級崩壊をしないために学んでおこうと思っていたのだと思う。
前者は社会に貢献したいという動機づけであり、後者は自分のためというのもあるが、社会に貢献するという志を立てたのに、そんな自分のクラスが学級崩壊してしまっては元も子もないという点では社会に貢献したいという動機づけであろう。
いずれにせよ、社会に貢献する、ということを胸に学んでいた。

そこで今諸君らにしても、現在この師範学校に入って、学問修養を始めるにあたっては、どうしてもまずこうした遠大な志を立てなければならぬと思うのです。第一そうでなければ、諸君らの学問修養は、決して長続きもしなければ、またその効果も上がらないでしょう。

P59

幸いにも私は教育を通して社会に貢献するということを考え、教師を志していたので学ぶ意欲は高かったのであろう。

しかしながら、教育だけではなく、すべての仕事、ビジネスがそうではないのか?という疑問が生じる。
社会的に役に立つ、貢献していることへの対価が売り上げであるし、報酬なのだから、どの人も必ず社会に貢献するという志がなければ意欲的に働くことや、そのために学ぶ意欲を高い状態にしておくことはできないだろう。

しかしながら、諸君らの一人びとりは、いずれもそれぞれ唯一無二の個性を受けて生まれてきたのです。すなわち諸君らと全然同じ人間は、九千万同胞の中にもただ一人もいないわけです。してみれば、諸君たちが日本の国家社会に対して持つべき分担も、それぞれ唯一独自の受け持ちがあるはずであります。

P57

自身が生きていこうとするとき、社会に貢献して、人に喜んでもらって、お金をもらうというシステムの中に生きていることに対して自覚的になること。
そして、どの人にもその独自のお役目があること。
そして、そのことを自覚し、各々の場でそれに力を尽くすこと。
このことが意欲的に学ぶために必要なことなのだと思う。

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