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5080問題の只中で

稲妻マルコです。今日は兄について記そうと思う。彼は私の人生における憂いや絶望の発端でありキーマンである。彼は50歳になった。1972年生まれのオッサンだ。

内実、オッサンの形をした座敷童みたいな人だ。

私が小学3年生の時、彼の家庭内暴力は始まった。両親の不在時にはじめて私にリンチのような暴力があった。1時間ほどボコボコにされた。彼の友人2人に助けられた記憶がある。

小学4年生、彼は中学1年生になり不登校になった。1980年代のことだ。彼の家庭内暴力は激化しそれから3年ほどは家にいられないため母とよく逃亡した。

その頃から私の成績は上がりはじめ、クラスで1番をとるようになった。

彼が中学3年生の時、突然仙人になりたいと言い始め横浜にある八幡教会という寺院に預けられた。当時のそこは降霊や交霊を夜な夜な集団で行う宗教施設だった。初めての幻聴や幻覚はそこで始まったようだ。

兄は中学を留年し八幡教会から中学に1年間通学した。東京実業高校というヤンキーが沢山いる高校に両親や教師の尽力で入学した。その時点で彼の人格は壊れていた。八幡教会から逃げて家に帰ってきた兄は一切喋らないし心を閉ざしていた。宿題は父が毎日代わりにやっていた。彼が高校3年生の時、事件は起きた。

私は高校1年生で県内有数の進学校に通っていた。

1989年8月16日の夜、兄がゴルフクラブで愛犬のグレムリンを撲殺した。アイスピックで父の腹を数か所刺した。私は警察に通報しパトカーと救急車が家を囲んだ。兄は手錠をかけられ、その夜精神病院に入院した。

家の中は破壊しつくされていた。ガラス窓は全て割られ、私のベッドは縦になり、当時サウナがあったが横になっていた。私の教科書もボロボロになり、仏壇は破壊され祖父母の遺影はなくなった。家族の写真は全て破られた。

もう一匹の愛犬の優も全身を殴られていたが何とか命はとりとめた。この体験はその後の長い間私のトラウマとなった。祖父は「すべてマルコが悪い。女の癖に出しゃばって翠嵐になんて行ってマルコが悪い」と言い放った。(つづく)

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