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なぜ「俗流社会進化論」は消えないのか?:自民党改憲広報を起点に

進化論。これほど社会に影響を与え、誤解を招いてきた学問はないだろう。

俗流社会進化論が優生学につながり、ナチスドイツの民族弾圧への推進力となったという歴史は私がわざわざ追うまでもない。

本noteで検討したいのは、そこではない。なぜ、俗流社会進化論は消えないのかだ。

自民党広報部が憲法改正について、非常に興味深いマンガ広報を行った。

まだ序盤だが、次のような「論法」だ。

・進化論によれば、変化することは良いことだ

・ゆえに、憲法を改正したほうがいい。

正直、私は最初、誰かを貶めるための悪質ジョークだと思い、しかも非常に面白いと思ってしまった。この論法が正しいなら、毎週末に憲法改正を行ったほうがいいことになる。できれば毎秒、憲法を変更したほうがいいだろう。がん細胞のように無限に増殖する最強憲法が生まれるかもしれない。

だが、そうやって面白がったり、自民党を批判するのが目的ではない。

なぜ、進化論について、こういった発言が好まれるのか?を検討したい。

1.進化論では何がわかっているか?

はっきり言おう。まず、進化論で、これはわかっている、というほぼ確定した科学的事実は非常に少ないはずだ。

生物には遺伝子がある。DNAなどの実体を持っており、それは変化し、生物は増殖して淘汰されるので、増殖しやすいものが残る。基本はそうだ。

だがそんな単純な話ではない。生物は相互作用する。協調し、敵対する。パラサイトが感染する。それらは戦略と戦略の無限の戦争であり、局所的に何が勝つかは運次第だ。長い時間が経つと、一見勝敗は明らかになり、有利な戦略が見えてくる。だがそれも、更に長い時間がたてば、ハックされ、新たな敵に食い物にされ、戦略変化は軍拡競争的な、究極的には無目的、しかしむしろ直線的という、興味深いダイナミクスになる。

進化論は過去を解析できる。だが未来の予測は難しい。現時点ではほとんど無理だ。最新研究では一部の拘束された直線的変化のみに絞っての予測可能性などが追求されていると聞く。この方向なら多少は可能なのかもしれない。

正直、以上を理解すれば、一般教養としては十分だろう。我々一般人は、よくわかっていない、ということがわかっていれば良い。それ以上は専門家の話を聞けばいい。

2.社会進化論は可能か?

まず問題は次の二つだ。

・社会について、同じような理論を構築できるか?

・それは何の役に立つか?もっというと、どう使われるか?

まず前者。出来るはずだ。出来ないはずがない。社会の規範はミームだ。DNAという実体こそ無いが、人間の脳や法やその他テキストに書き込まれ、情報理論的実体を持つ。民族、国家、その他あらゆる社会的構築物は、人類に感染したウィルスのようなもので、進化論の適用範囲内のはずだ。

様々な社会科学の領域で、この観点から人間社会を研究する分野はそれなりにある。「進化社会学」とはっきり名付けられたものもあるし、それ以外の領域でも、発想自体は影響を受けている物は少なくない。

だが、重大な問題がある。自己言及性だ。学問もまた、人間に感染したミームだ。学問は人間の挙動を左右し、他のミームに影響を与え、融合・分離し、ときにパッケージとしてセット感染する。ナチスドイツもその一つだ。

こうなってくると、過去の解析すら難しい。なぜなら、過去の解析は過去を変化しないが、未来に影響を与えてしまう。歴史学の難しさもここだ。歴史学は、歴史を改変しないが、歴史の解釈を変更することで、政治に用いることは可能だ。これは、究極的には回避不能だ。歴史学は過去の失敗から、なるべく解釈変更に抑制的になり、現在や、とくに未来については言及を避けることを基本として動いている。

ゆえに、どうしても政治的理由で人類史の過去の解釈を変更し、現代や未来を語りたい人間は、歴史学を乗っ取るより、社会進化学を新しく構築することをえらぶだろう。未来予測によって、政治を誘導できるからだ。

とはいえ、これは社会進化学特有の問題ではない。たとえば、社会科学や経済学(学者本人たちは否認するかもしれないが)はしばし政治運動的な動機から行われ、現在でもそう口を滑らす学者は多い。これらもときに全く考えなしの未来予測を行っている。

学問は事実認識のみを追求し、これを元に市民は価値判断を自由に行えるとされる。これは嘘だ。嘘が言い過ぎなら、ただの規範だ。そうであるべきという規範であり、実際には必ずしもそうでない。

学者がそれを守っていないのに、市民がそれを守るはずもない。結果、皆でアナウンス合戦が行われるというわけだ。終わりなきミーム感染勝負の始まりだ。アカデミアの作法としては稚拙でも、アナウンスで勝てれば目的は達成だ。だから、自民党の広報が本当の意味で稚拙なのかは蓋を開けてみるまで誰にもわからない。

これが、俗流社会進化論が消えない理由でもある。

後者の回答は、科学的知見が得られる可能性はあるが、政治アナウンスに使われる危険性もある、だ。

この観点から、欧米では社会科学の特定の知見そのものが攻撃されることもある。だが問題はそこではない。例え、科学的知見が正しく、帰結が安全にみえても、アナウンスには慎重になるべきだ。

3.俗流社会進化論の嘘と、「真実」の危険性

まず、非常によくある俗流社会進化論の使われ方は、「弱者は見捨て、放逐するほうが社会全体にとっては有利だ」とかだ。

これは明らかに嘘だ。弱者を社会に取りこむのは内戦を減らし、リスクを低減させ、協調し、生産性を増加させる強力な基本戦略だ。殆どの宗教に規範として入っているのは、それが有利だからだろう。天国や地獄はそれを信じさせるための物語にすぎない。

よって簡単に否定できる。これで解決だろうか?否だ。

単純にを否定すればいいという話ではない。

もし仮に、学問として成立した社会進化学が次を学問的事実として導いてしまったらどうするか?

「ある特定の状況Xでは、特定の属性Yを社会から放逐したほうが社会全体にとって非常に有利だ。そして現状はXだと推論できる。

これによって、もし、属性Yを放逐して良いと世論が誘導されてしまった瞬間、全てが崩壊する。

社会進化学は、敵対勢力を抹殺し追放するための道具になり、単なる学問を超え、絶滅戦争の戦場となるだろう。

当然の話だ。民主主義において、誰かを合法的に抹殺する手段は少ない。最強の武器が供給されたが最後、全員がそれを使い出す。もはや学問の手法など誰も気にしない。

重要なのは「これは社会進化論的事実だ」というシグナリングだけだ。世論には事実を検証する能力など無い。反応するのみだ。勝負は多数決で決まる。マジョリティの気に入らないマイノリティから抹殺されていくだろう。

これを防ぐには、いかなる事実があろうとも、誰かを見捨てたり追放してはいけない、という規範が社会に導入されている必要がある。

これはかなり強い規範だ。たとえ国家崩壊につながりうる人間でも、排除してはいけないのだから。だが、これは仕方がない。国家崩壊に本当につながるかどうかは、事前には判定できないからだ。判定方法を捏造すれば、だれでも追放できてしまう。排除以外の方法で対処する必要がある。

4.問題は何か?

さて、上記の論法は、進化学とも社会進化学とも実はそこまで関係がない。

「学問の名のもとに、政治状況XにおいてYすべきだというアナウンスが行われ、それが成功して社会がYへと誘導されると、ヤバい、かもしれない

ヤバい、かもしれない。雑すぎる表現だ。だが、こうとしか言いようがない。一般化は難しい。

Yが敵の放逐とか、ものすごい効果だったら絶滅戦争だ。だが、皆が手を洗うようになる、ぐらいだったら、せいぜい手洗い戦争だ。反手洗い運動の天才的扇動者が出てきたら、「真公衆衛生学」の名のもとに手洗い禁止令が布告され、ヤバいことになるかもしれないが、何の得にもならないので多分大丈夫だろう。そいつがウィルス星人だというオチかもしれないが。

結局、論法は関係ない。社会に影響をどんな与えたか、これだけが重要だ。影響を与えすぎてはいけない。誘導しようと時点で危険だ。それが正しいかどうかは関係がない。なぜなら、正しさとは特定の認識を持っている人間の判断であり、認識または判断が一致しない人間には関係ないからだ。

大半の人間にとって学問などどうでもいい。政治だけが重要だ。ゆえにすべてはアナウンス勝負になる。結果、単なる事実認識の発信すら、アナウンス扱いされ、使い物にならなくなっていく。

これを行っているうちに、マジョリティが気にいるかどうかで「学問」の名のもとに何が起きるかが決定されていく。この状況を作り出しているのは単にマジョリティだけではない。慎重にアナウンスを行わない学者側の責任は大きい。

残念ながら、一部の学者は、この危険性を軽視し、政治状況に多くの「アドバイス」を行ってきた。アカデミア全体でそれを抑制する動きもなかった。帰結として、政治アナウンス扱いされうる殆どの学問への信頼が薄れているとともに、その名を借りた勝手なアナウンスが繰り返される。

5.「正しい憲法改正議論」or「正しい進化論」は可能か?

さて、冒頭の自民党広報に戻ろう。これを批判する目的ではない。問題は、批判したらどうなるかだ。

もともと進化論を理解している人間は、この広報に何の影響も受けない。この広報が出鱈目を述べていると知っていても、憲法改正案に賛成なら賛成、反対なら反対するはずだ。

以下では、話を簡単にするため、自民党支持者と消極的容認者をあわせて現状支持者と呼ぶ。

現状支持者以外は、ほぼ全員が憲法改正案に無条件で反対するだろう。

要するに、進化論を全く知らず、現状支持者だが、憲法改正案への態度を決めかねている人間へのアナウンスだ。

彼らを説得、つまりこの論法か、帰結は間違いであることを納得してもらえる方法はありうるか。

さて、今行われている批判はどうだろうか。私にはわからない。当該の論法が間違いだと思っている以上、そうでない人の気持ちはわからない。だがそういう人間が、これを信じてしまう人をどう説得すべきか。

ちょっと仮想的にやってみる。

例えば、今まで憲法改正など全く言い出していなかった、現状支持者の知り合いが、この漫画を読んで、賛成よりになり、話を振ってきたとする。

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問1. 憲法改正案への態度を反対寄りに誘導したい場合、どうするか。

まず、私なら進化論の話を一切しない。自民批判もしない。まあ適当に話を迂回し、相手の出方を伺いながら、憲法改正というのは少し性急すぎるし、というかやっても得はなさそうだし、損もあるかもしれないし、もっとやるべきことがあるんじゃないのか、たとえば経済問題とか、などと反対寄りになんとなく合意できるように仕向けるだろう。

たとえ現状支持者でなかったとしてもそうするのが最適解ではないだろうか。進化論の話を起点にして自民党を批判しても一切無駄だ。なぜなら彼らは前提として進化論を理解していないし、現状支持者だ。現状を支持しているのは進化論の正しさとは関係ない。学問的発言の正しさを起点に政党支持の態度を決める人間が、進化論を何一つ理解していないという可能性はゼロだ。

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問2. なるべく正しい進化論を理解してほしい場合、どうするか

まず、私なら憲法改正案の批判を一切しない。自民批判も一切しない。憲法改正案について色々意見を交換することになるだろうが、私はそれを興味深げに聞いた後、中々難しい問題ですねえ、教えて頂きありがとうございます、という回答をするだろう。その後、おもむろに、私が持っている、なるべくマトモかつ、なるべく薄く、そして面白い、進化論の話が書いてある書物か、マンガを貸してあげるだろう。私は進化論大好き人間という顔を全面に出し、ぜひ一緒にその話ができれば楽しい、と述べる。相手はあるいは迷惑がるかもしれないが、暇なら読んでくれる可能性はある。話を聞いてもらったら、逆に相手の話にも付き合うという返報性規範があるからだ。

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やや長い回答だっただろうか。述べたいのは、私の答えがあっているかどうかではない。以下の二点が言いたいことだ。

・人間の意見を変更するためには、正しさを論証しても無駄

・事実を理解して欲しい場合、一方的に教えても無駄

・これらを同時にやることは不可能

これは当たり前だ。

一番目。正しさを論証されて意見を変更するのは学者ぐらいだ。学者ですら頑迷に自説にこだわる人は多い。普通の人間はアカデミックな訓練を受けていないので、批判されたら攻撃だと思い、あなたの意見を全て却下する。一般人の価値判断を変更させる唯一の方法は、事実認識にほぼ合意した後、感情論を持ち出して価値判断を自分の側に寄せることだけだ。

二番目。あなたは教師ではない。教師だったとしてもそれは教室の中だけだ。教わることに同意していない人間に教えることは不可能だ。これを理解していない人間は一度でいいので、就学困難者への学習ボランティアに参加することをおすすめする。事実認識を教えることが出来ない場合、興味を引いて自発的に学んでもらう以外に方法はない。

三番目、これも自明だ。仮に全くの他人の事実認識と価値判断を同時に変更させられる人間は、教祖にでもなったほうがいい。普通の人間は、複数回のコミュニケーションによってそれらをすり合わせる。



さて、ここまで書いた後、「私はただ事実を述べているだけで、自民党支持者を説得するつもりは一切なく、上記の話は全て的外れだ」と述べる方がいらっしゃるかもしれない。

別にそれはそれで良い。勝手にやって頂きたい。だが、それをやればやるほど、ますます「正しい憲法改正議論」も「正しい進化論」も効力をなくしていく。

当たり前だ。そういった発言の結果、何が起きるか。

「正しい憲法改正議論」も「正しい進化論」も自民党への攻撃なので、無視しよう、という合意が、現状支持者の中に広がる。

積極的賛成者だけではなく、件の論理展開に一瞬でも中立的な立場をとる時点で、何一つ進化論を理解していないのは明らかだ。そういう人間に、否定的なシグナリングを行うたびに、理解への道筋が閉ざされてしまう。正しい進化論を広めたいという立場の人間がそれでいいのだろうか?

憲法改正議論についてはもっと深刻だ。進化論と違い、全ては多数決で決まる。社会にどれだけ間違った俗流進化論が増殖しても、学者が勝手にやればマトモな進化論は保存されるだろう。だが、憲法改正は多数決だけで何でも起こりうる。雑なアナウンスがどれだけ危険なのか、もうすこし考えたほうがいい。あなたが、正しい憲法議論について真剣に考えているのであれば、だが。

インターネットは世界と接続している。議論は成立しないが、アナウンス効果は5次のつながりで一瞬で広がる。

SNSの危険性、という言葉を聞かない日はない。それはたいてい他人事として語られる。だが、第一に我々が考えるべきなのは、自身のSNSの使い方の危険性だ。それ以外は対して意味がない。自分の行動を変更できるのは、自分だけだ。

無論、私自身、今回の一回のコミュニケーションで、あなたの事実認識や価値判断を変更できる、変更すべきだ、などと思ってはいない。しかし、ぜひ一度「今、そもそも何が問題なのか」を考えて頂きたい。

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