「君と夏が、鉄塔の上」を読んで
私たちは大切だった物も、人も、忘れていく。今までどれだけの繋がりを忘れ、失くしてきただろう。読み進めるたびにそのことを考えた。
鉄塔マニアで目立たない伊達は、ある時から奇抜な行動をとり続けるクラスメイトの帆月に、鉄塔の上に座っている小さな男の子の存在を知らされる。帆月はお化けが見えるらしい比奈山も巻き込んで、3人は鉄塔の上の男の子の正体を探ることになる。これがこの小説のあらすじだ。
はじめて私が鉄塔に気がついたのは、高校生の時だった。
日陰がない屋外プールで、ジリジリ全身を焼かれながら体育の先生を待っていた。対岸で、当時好きだった人がプールの波に酔ったのだと顔を青白くしている。クラスメイトが心配そうに囲んでいた。ただの25メートルプールで波酔いなんてするものかという考えが頭をよぎったが、先生に運ばれるその人をじろじろと見つめるのは、悪いことをしているようで自然と遠くを見た。
青空が広く、白い巨大な入道雲が敷き詰められた住宅街の向こうに見えた。そして鉄塔が、空の距離を測るみたいなリズムで、遠くへ遠くへ並んでいた。その立姿は凛として自信があるようだった。
「かっこいいな……」
と呟くと、隣に立っていたクラスメイトが驚いてこちらを見上げてきた。普段ほとんど話すことのない私が言葉を発したことと、なんの脈絡もない言葉が彼を少し怯えさせたようだった。
人とうまく話ができない。これは、中学で仲が良い友達が転校してから気がついた、自分の性格だった。そのうちに何に関しても自信がない、ぐらぐらして不安定な人間になっていた。周りの人から頭ひとつ抜けた背も、目立つのが嫌で背中を丸めて立つようになった。だから、真っ直ぐに立ち、自分の役目を務める鉄塔がやけに格好良く見えた。けれど、鉄塔に近寄ることはなかった。自分の自信のなさが鉄塔にバレてしまうのが怖くて、いつも遠くから眺めるだけだった。
そんな私だから、帆月と比奈山が二人で公園にいるのを見て、伊達が自転車を置いたまま走って帰る気持ちが痛いほどにわかる。逃げるようにして人との関わりを避けた瞬間をいくつも覚えている。自分の羞恥と存在を気にも留められていないような、忘れられているような恐怖で逃げ出したくなることに覚えがあった。
そのため、帆月が「おみおくり」の列に加わり、自ら忘れられることを望んだ場面は衝撃的だった。あれだけ人と関わり、恥をかくことも顧みない奇抜な行動までして、忘れられたくないと願った彼女の「諦め」は自分から死ぬことと似ているように思えてならなかった。
忘れられたら死ぬ__
彼女は大切な人を忘れることにも、大切な人に忘れられることにも怯えていた。
私は祖父に忘れられたことを思い出した。忘れられることの痛みは命を削るような激しさがあって、「忘れられたら死ぬ」というのは思いのほか当たっているのだと思う。忘れたことを指摘された祖父が、申し訳なさそうに、淋しそうに私の顔見たけれど、やはり思い出せないようだった。きっと、忘れることだって忘れられるのと同じように悲しい。
帆月は忘れられることも、忘れることも投げ出してしまいたかったのだ。
その帆月を、投げ出さずに繋ぎ止めたのは、いつか自分の自転車を置いて公園から逃げ出した伊達だった。
忘れられないために空を飛ぼうとした帆月、そして帆月を忘れないために空を飛んだ伊達。屋上から自転車で飛んだ帆月を見ていた頃の伊達は、飛ぶことができただろうか、一度は自ら手を離した帆月を連れ戻しに行けただろうか。人との繋がりを切ることは簡単だが、繋がり続けることは簡単なことではない。
小さい頃、1人の友達と密かに相棒と呼び合っていた。私たちは決して趣味が似ているわけでもなく、共通点も多くはないが、確かに他の友達とは違う特別さがあった。中学校でその友達が遠くへ引越してから、電話もしたし、手紙を送り合った。親にパソコンを借りて、ケータイを持っているその子とメールしあった。
数年振りに遠方に住むその子に会いに行った。一緒に過ごす間、私は失望されることを不安に思っていた。友達に以前より楽しくないと思われることや、新しい環境に馴染んでいつか私の存在が忘れられることに怯えて過ごしていた。
最後の日、別れの電車の窓越しに、反対側のホームで友達が泣いているのを見て、自分の愚かさに嫌気が差した。私が面白くないのも、気の利いたことが言えないのも今に始まったことじゃない。友達はそういうことを抜きにして私を忘れないでいてくれる。「忘れられれば、死ぬことと同じ」ならば、私は今生きているのだと気がついた。思えば、連絡不精の私が連絡を取り続けられたのは友達のおかげだった。
この出来事の後、私は人と以前よりも話すようになった。さらに数年が経ち、互いに受験を乗り越えても、私たちの物理的な距離は遠いままだ。けれど私たちは忘れることなく繋がっている。
私は今でも、その友達と電話をする。そしてときどき考え込んで無言になるのを、電波が悪いからと言い訳をする。いつか鉄塔に恨み言を言われるだろう。
昨日、大学の近くの鉄塔に初めて近づいた。私には鉄塔が住宅街から飛び出して目立っているように見えたけれど、通りかかる人は気に留めてもいなかった。背が高くて堂々としている。腕金も、碍子も、ねずみ返しにさえ背伸びしたって届きそうにない。私有地にあるため結界には立ち入ることは叶わなかったが、足元まで見える距離に近づいたのは初めてだった。
人々が役目を勤める鉄塔を気にしないように、鉄塔は私の自信のなさを気にしないようだった。空に溶け込みそうな、とんがり帽子の天辺に何か居ないかと見上げると、丸めていた背中が真っ直ぐに伸びた。
友達も、これから出会う人も送電線を辿った先にいて、繋がっている。伊達が帆月に言ったように、鉄塔を見れば忘れないでいられる。
この小説は、出会い別れる青春の中で、人と繋がり続けることの尊さを思い出させてくれるのだ。
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