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ねばねばnever

本当にやらねばならないことは
必ずやる。
やっている。

だから安心して。

やらねばならぬと
重荷を感じて
不平不満、重い足どりで
毎日を過ごす。

そのやらねばならぬこと達は
本当にやらねばならないのかな?

本当にやらねばならないことは
必ずやる。

だから安心して。

チカラが湧かない「ねばならぬ」は
オカシイ。

生きるために
やらねばならぬことは
チカラの湧く方へ・・・。
歩まねば

そりゃ経巡るよ。
いつも元気もりもりとは限らない。
でも、
いつまでも
ここにいるのはオカシイ・・・。

と氣付いたとき、
オカシクない道が拡がっていて、
行かねばならない道を
歩むことになるんだ。

だから
やらねばならないことは
今してること。

大丈夫だから。

チカラの湧く方へ。


**************


3・11のあった1週間後、
僕は石巻へ行っていました。

ちょうど
仕事もなく、
守るべき家族もなく、
それ以前のいくつかの災害で
行動した人の想いを伺い聞いていて
生き生きとして羨ましく、
次に何かあったら動こう!
と内心想っていた。

ちょうど3・11の2ヶ月くらい前に
ニュージーランドで大地震があったんだよね。

「行こう!いや、でもさすがに遠いでしょ?」
丁度良い言い訳が出来た。

その2ヶ月後、、、
「遠い?いや遠くない。
仕事が!いやありません。
守るべき家族が!いやいません。」

そこへ友人が
「わたし行ってくるわ!」

「・・・ちょっと待って。僕も行く」

積極的なのか消極的なのか、
まぁ、人によって違うみたいなんだけど、
これが僕の人生のパターンです。


2011年2月まで、
別にやりたいわけじゃないけど
給付金目当てに
社会人のスキルを磨く的な
玉虫色の職業訓練学校へ行っていました。

スーツを着て自転車こいで
サイクリング道路を40分ほど行くと
海辺にそびえ立つ幕張新都心。

そのとき、
「やらねばならぬことって
チカラ奪われるなぁ。
そういえば
ねばならぬの掟を破って
こんなことをしてもいい
って生き方すると
チカラが湧いてくるなぁ・・・」

とぼんやり想ったのでした。


その後、被災地へ行って、
手探りの「僕等」の生き方を
して、見て、

本当にやらねばならないことは
必ずその時にするんだな。
今まで感じてた「ねばならぬ」って
本当の「ねばならぬ」じゃなかったんだ。

だから大丈夫!

と、総じた新たな見地に氣付いたのでした。

それから1年、
被災地支援、千葉ではニート引きこもりの自立支援、
まるまるずっと僕の中で滞っていた
「ボランティアの人」をやりました。

そして
助けるためには助けられる人が必要。
助けられる人がいることに依って
助ける仕事が助けられる。

そんな世の中を固定して
安定した暮らしを求める
世の仕事の在り方の仕組みを感じ取り、

相互依存だこりゃ。
好きに生きよう、と想い、
想い始めたらうねうねと
機会はやってきてくれるものでして。

今も生き生きと生きるために
やらねばならぬことをしている毎日です。

不要不急・・・

音楽は不要不急か?

急ぐものではないかもしれない。

でも決して不要なものではない。

そして、徐々に、
人生が後半になってきたと感じると、
ちょっと急がなきゃな。


都市圏の緊急事態宣言が
また延長になったとのニュースを聞いて、
真っ先に
「申し訳ない。僕の音楽の歩みがのろいせいで、
僕に合わせてもらってしまって・・・」

なんて想う僕は馬鹿でしょうか?

でも僕がそう想うなら、
他にもこんなふうに想ってる人がいるのかもしれないな。

意外と内心の誰もの数パーセントはあるかもしれない
こんな想いが、
今の現代の流れを創ってるのかもしれない。

そう想うと、
「まぁ大丈夫か・・
っていうか、
僕、がんばろ。
世のため人のために」と、

やらねばならぬことを
今日もやるのです。

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ウクレレ平魚泳
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