The way that I am
「尺八をやってみています」という
noteの投稿をしたのが
12/19だったから、
丸々1ヶ月。
練習に練習を重ね、
なんとか、
次回レコーディング音源「蟻」への
収録を終えました。
練習の日々も楽しかった♪
イマドキは
Bluetoothスピーカーで
どこでも音楽かけられるし、
Spotifyで、スマホがあれば
いくらでも欲しい音楽聴けるから
素晴らしいよ!
外へ出て、
人気のない、ひだまりの
河原やダム湖や公園。
そこでランダムに音楽をかけて、
尺八で合う音を見つけ、
そこから調を探って、
音感と響かせ方を鍛えました。
幸せだったなぁ〜
ずっと続けていたかった。
でもずっとそこにいては
何の生産性もない時間。
趣を味わう、趣味の時間としては
大切だけど、「仕事」とは呼べないよね。
と、自嘲しつつ、
後半は自宅スタジオのマイクの前で
音源と向き合う日々でした。
前回のnoteでも、今後のnoteでも、
また考えてしまうことになると想うけど
「お金」になることを「仕事」と呼ぶなら
このレコーディングに費やす時間も
「仕事」と呼ぶにはあまりにも生産性が低いね。
100回、200回と、
尺八の音を収録していると、
「自分」の特性が見えてきました。
僕・・・
とにかくしつこい。
視野が狭い。
集中力がある。
ということになるのかな?
自覚なく、
でもひとつだけに集中する
単純作業は苦にならない。
苦になるのは、
「なんでいつまでも俺、
こんなことしてるんだろ?
要領悪いよなぁ・・・
全部自分で抱え込まず
人に頼めばいいじゃん。」
一方、
天才的な集中力に憧れ、
このような雑念で
緩慢になってしまう
自分の集中力が情けない。
どうしても、
社会や家庭、他の人に影響のある営業、
営みを優先してしまう業がある。
生産性ないからなぁ・・・って。
*************
「自分」ってこういう奴だよなぁ
ってのが象徴的に自覚したのが、
小学生の時にやったドラクエ。
普通、ゲームを始めて、
最初のうちはお城の近くでスライムとか
弱いモンスターを倒し、
力をつけたら
だんだんと山の方とかに冒険に行って、
もっと強いモンスターと戦って、
より高い経験値をGetして
一番強いドラゴンまで
歩みを進めて行くじゃないですか?
それが要領の良いやり方だし、
ゲームの楽しみ方だと思うし、
わかってるんですよ。
でも、
僕はいつまで経っても
お城の近くでスライムばっかり倒してるの。
低い経験値ばっかり積んで
むっちゃ歩みが遅いの。
もし「進撃の巨人」みたいな現実だったら、
主人公たちは
どんどん荒野を切り拓いて、
新しい時代の幕を開いてるよね。
時代が変わっても、
いつまでも僕は
お城の近くでスライム倒してる。
門番みたいな役割かしら?
門番という公務員的な仕事が向いているのかな?
じつはそんな一般市民も、
一人ひとりにかけがえのない人生が
存在しているんだよ。
という主張も入れつつ、
「昭和の
安定された雇用で
単純作業の労働を繰り返し、
5時には仕事を終えて、
穏やかな家庭を持つ」
ような、
今はマボロシのサラリーマンみたいのが
向いているのかといえば
そうではない。
あくまで夢は
ドラクエで言うなら
「ドラゴンを倒すこと」で
門番の仕事をすることでも
保障された安定の暮らしを
求めることでもない。
だからまぁ、
前世代に生まれていたら、
「もういい歳なんだから、
ちゃんと就職して
結婚して、家庭持って、
親を安心させなさい」
というプレッシャーと戦わなければ
ならなかっただろうなぁ・・・と。
*************
確かに、
山へ冒険に行くことが怖い
ということもある。
失敗が怖い。
手に汗握って
リスクを冒して。
勝てば得られるものは多いだろうけど、
負けるイメージしか持てない。
実際の僕の人生はどうだったかというと、
「もうダメだ!
スライムばかりいじってても
何も変わらない!
自分を追いつめろ!
好きなコに告白するんだ!
羨ましがってても何も始まらないぞ!
旅に出るんだ!
そうだ。誰とも比べなくてもいい。
コンセプトなんて要らない。
おお、歩くか!
そうだそれが似合ってる。
徒歩で行け!
うん。おまえらしいぞ!」
と、
曲がりなりにも
歩みを進めていったみたいです。
若さも失ったのに、
まだ若い頃の想いをカタチにしようと
頑張っている。
「手放すといいよ」
と、よく声がする。
何を手放して、
何を手に入れようとしているのか?
*************
かつて・・・
合計100万円ほど払って、
スピリチュアルな、
ネットワークビジネスのコースに
ゆるゆると手を染めたことがある。
みんなキラキラ(ギラギラだったのかな?)して
上のコースへと踏み込んで行くのに
僕は歩みが遅かった。
誠実になるためのワークを進めれば進めるほどに
こんなわかりきっている「自分」を
確かめるために時間と金を費やす、
この「ネットワーク」が
邪魔くさかった。
もちろん、つきまとうであろう
ネットワーク「ビジネス」の方は
無関心だった。
誰も勧誘しなかった。
(今、そのネットワークでの繋がりは
関係ないので僕を怪しまなくても大丈夫)
そう、こんな告白をしてまで主張したかったのは
全てのコースを終えて、
帰国した後、
足が向いた場所は
けっきょく、
千葉駅の路上で。
タイコ叩いて歌っていた。
それまでとは違う、
でも今まで通りの
僕らしい僕だった。
*************
こんな僕の特性を、
奥さんに語ろうとしたら
鬱陶しがられたので
こうしてnoteで綴っています(笑)
いやぁ
本当にみんな、
他人って僕と全然違うんだなぁ!
って驚かされます。
僕も
こんな「自分」を
「わかるわかるわたしもそうなの」って
ブーストさせてゆくような相性の人を
パートナーに選んでいたら、
ずぶずぶと凄いところまで行って、
破綻していってたかもしれないしね(笑)
どっち系の人も必要です。
みなさん、よろしくね♪
バカみたいに長い文章になってしまいましたが、
こんな「自分」を想ったときに、
かつて10年以上前、
東京暮らししていた時、
高円寺からアパートに帰る道、
冬の季節だった。
カップラーメンを公園ですすっていた時、
僕「自分」を象徴するような詩が出来たのを思い出して、
歌ってみたくなって
昨日、
久しぶりにカップラーメン買って、
今地元の農村公園に行って
歌ってすすりました。
『カップラーメン』
3分経ったら 食べてもいいんだよ
我慢できるかな? こぼさず行けるかな?
眺めの良いとこで 食べたいね
3分経ったよ 食べてもいいんだよ
ここじゃ違うかな? もう少し行ってみようかな?
「いただきます」って ホラ
冷めちゃった
↑そんな、2006年頃、詩を創った、
カップラーメンを食べた直後に
録った録音があるかも!
と思い出し、探し出した音源も
こちらにアップしてみました。
P.S.
今日のnoteのタイトルは
10代の時に愛聴していた
Power of dreamsという
アイルランドのロックバンドの曲名。
ロッキンオンに白黒ページで何度か登場して
気になって、CD借りて、ダビングして、
通学の自転車で、サボり道の自転車で、
カセットウォークマンで聴いていました。
ネットで検索しても
この曲は見つからず、
当時の代表曲くらいが
youtubeで見つかった程度でした。
過去には申し訳なく想っているよ。
友達には本当に申し訳なかった。
やるべきだったのにやらなかったことがたくさん。
申し訳なかったな。
でもこれが
僕の人柄なのかもしれない
Maybe just the way I am.
今は聴けないけど、
いつでも聴こえてくるよ。
これが僕の人柄なのかもね♪
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。