生きようとすると
1976年生まれ。
大体そこらへんの世代でして。
その中で、
どんな立ち位置で生きてきたのかを
汲んで、
自分と照らし合わせて
何かを感じてくれたら
幸いです。
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高卒。
学校の99%が大学へ進学。
でも半分くらいは1浪して大学へ。
というくらいの
ぬるい進学校でした。
高校3年生の時、
唯一尊敬、というか身近に感じれた
現代社会の先生が
「君たちが大学出る頃には
『不景気』な時代がやってきてるよ」
という、予言めいた言葉を、
にわかに信じられなかった。
という思い出を持っています。
中学生まで
そこそこ学校の成績は良かったので
進学校へ進学するのは
誰からも褒められるので
幼い僕には当然の流れだった。
でも本当は、
僕には大学も高校も
興味なかった。
なかった。というより、
何を学ぶ意志があって
「学校」を選択するのか?
ということの方が
先に考えるべきことじゃないのかなぁ・・・
なんて、
成長の過程で自然に
思うようになっていった。
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お金に関しても同じだった。
何をする必要があって
お金を必要とするのか。
を先に考える必要があると考えていた。
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だから、
「少しでも良い成績で入れる学校へ行くと
たくさんお金をもらえる仕事に就けるよ」
なんていう
一般的に言われていることの
言ってる意味がわからなかった。
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それより先に
考えることがあるでしょう?
どんな風に生きたい?
どんな世界を生きたい?
そこでどんな事をして生きたい?
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それを見つけたら、
そこに向かって歩くことにする。
「学校」という選択肢は
とりあえず僕には出てこなかった。
「お金」も
そんなに必要なかった。
それよりも先に
「やろうと思ったことをやる」
行動力を欲していた。
「そこへ行けば何かがある」
という想像力が貧弱だっただけなのかも
しれない。
もし「学校」を選んで
挑戦してたら、
もっと色々身につけられたかもしれないな。
と想う時はある。
高いお金を払って、
高価な楽器や機材を買って、
高い学費の学校へ通ったなら
もっと早く、
色々身につけられたかもしれないな。
と想う時もある。
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30代後半、
大卒の彼女と付き合うまで、
「ボーナス」というやつが
そんなにたくさん貰えるなんて
知らなかった。
僕は高校を卒業して、
「やっぱり家は出なきゃな」と思い、
横浜の駅の近くに
家賃3万円の風呂無しアパートを
借りて、
路上でギターを弾いて、
アルバイトをして暮らした。
家賃3万。
水道光熱費およそ2万。
電話代およそ1万。
生活費は1週間に1万。なので月に4万。
合わせて10万。
なので月に12万くらいを稼げるくらいの
アルバイトをすれば
暮らしていける。
そのくらいの算段を土台に
それからもず〜っと生きている。
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歳をとって、
時代が流れ、
この無理ゲー社会に氣付く。
誰かが「無理ゲー社会」と呼ぶ前なのか、
それとも同時か、
それともぼんやりとした感覚が
その誰かが付けた言葉で
はっきりと認識したのか、
それは曖昧。
でも、その前に、
お金を稼ぐことより
僕の人生で大事にしたい、
音楽での表現活動が
技術の不足だったり、
表現力の不足だったり、
人生経験の不足だったり、
周りが誰も理解してくれなかったり、
流行に乗れなかったり、
いろいろ追いついていないことが
30歳を手前にして
成っていないことの方が
一大事だった。
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そこから僕は
1レッスン2000円ほどで教えてくれる
元スタジオミュージシャンのおじいさん先生の
アパートに足繁く通い、
西洋音楽の基礎を学ぶ。
レッスンが終わった後、
だだっ広い小金井公園で
メトロノームに合わせて、
一日中、何日も
タイコを叩いていた。
自分がバカじゃないかと思った。
全然上達しないし、
今まで出来ていたと思っていたことが、
勘違いだったと思い知る。
それでも・・・
小学1年生も6年経てば
6年生になって、
見違えるほど
いろいろ身につけるじゃないか。
子どもの成長と、大人の成長は
違うとしても、
6年頑張れば、6年生くらいには
なれるはずだ。
「一生やるつもりなんでしょ?」
「うん」
自分に言い聞かせてた。
6年経った。
8年経った。
10年経った。
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それなりの学校へ行けば、
もっと早く、多くを学べたのだろうか?
もっと多くのお金を稼いで、
勉学に投資してれば、
もっと早く、多くを学べたのだろうか?
もっと高価な楽器を買えば、
早く上手になれてたのだろうか?
値段の高い楽器を手にした時、
安価な楽器は弾きにくいし、
音の良さを初めて知ると、
とてもとても遠まわりしたような
残念な気持ちになる。
もっと早く、もうちょっと気軽に
これを手に入れられるだけの
経済力があったなら・・・。
でも、そんなお金を使って
手に入れたモノもまた、
使いこなせるように
練習し、学び、
そこに時間をかけなければ
「そこ」には行けない。
お金を払えば済む問題ではないんだ。
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昔より、
ずいぶん大人になった。
あれから小学校レベルの6年間を終え、
出て、会うべきであろう、
インターン的な社会とも出会わず、
(社会=求めに応え、お金を稼ぎ、仕事とする道筋)
さらに3年、3年、4年と
月日が流れた。
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描きたかったであろう表現が、
伝わるであろう技術と共に
発することが出来るようになった。
すると、
楽譜が読めても、
演奏技術があっても、
場を創る技術と、
コミュニケーション力がなければ
世にポジションを確立することは
出来ないと知った。
音の動きより、
お金の動きを考えないと、
お金は入ってこないことも
知った。
仮に僕や、誰かが「天才」だったとしても
その人を「天才」と
演出する誰かの力が必要だと
わかった。
で、
ちょっとやそっと考えたところで、
なかなかお金になるわけでもない
現実も知った。
それが「不景気」のせいなのか
自分の能力の無さなのかは
分からない。
でも、
上手に自分の事業を
言語化し、プレゼン出来れば、
協賛金や、補助金を
簡単に手に入れられる現実も知った。
それは
美しく、ドレミファソラシドの旋律を弾くことより、
「美しくドレミファソラシドの旋律を弾きます」と、
適切な場所で宣言することによって、
ドレミファソラシドの価値を高められると
演出する行為のようなこと。
お金が欲しかったら、
それなりに「お金」に勉強の時間、
エネルギーを注がなければならない。
「デザイン」だって、
それなりに学び、蓄積させる
エネルギーが必要だ。
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「ミュージシャンが音楽できるのは当たり前。
喋りの技術がなければ世の中渡って行けません」
と言って、
僕に月1でFMラジオのパーソナリティを課した
音楽事務所の社長がいた。
僕は一時、不安と共に、
そんな業界に媚び、入っていった。
スクリーン、スポーツ、セックス・・・。
軽〜いノリの3Sな話は苦手だった。
有名な芸能人は
僕にとっては無名に等しかった。
話し出すと、
僕の話はけっこう「難解」と
言われてしまう。
「暗い」「重い」と
社長がつぶやいていた。
「向き」「不向き」を思い知ることも
蓄積の一つかもしれない。
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これから先、
まだまだ「お金になること」を
考えながら生きなくてはならないのか?
「お金になること」を
しないと生きて行けないのか?
「お金になること」を優先し、
お金にならない「大切なこと」は
なんとかお金に換えるか、
別の手段でお金を得なければ
生きて行けない世の中が続くのか?
音楽を学んだり、
人生で、やろうとすることは
囲われた「法律」の範囲内で
自由に勝手に努力すればいい。
学びたい人は学び、
関係ない人は関係ない。
でも、
市場経済のルールには
則ってくださいよ。
楽器の演奏はできなくても
何とかなるけど、
お金の計算は
ある程度出来なかったら
生きていけないから。
なんてね。
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誰もがなかなかお金を稼げない
しんどい世の中が
あれから30年、進化して深化してます。
消費税が10%まで上がりました。
お金をやり取りすることで発生する税金は
お金のやり取りを抑制するための税金です。
・・・と言うことは、
「世の中、お金じゃないんだよ♪」っていう
自民党を通した、誰かからのメッセージ
だったんじゃ、ないだろうか?
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「がんばれば報われる社会」。
大いに結構です。
でもその「報い」が
所得、金銭で測られる世の中が
続くような仕組みの差配で、今後の政治も
行われていくとしたら・・・。
国民民主党、れいわ新選組、参政党の
積極財政派の動向も、しっかり見ていかなきゃな。
僕はこちら側への応援の気持ちも持ちつつ、
さらにこんな懸念を考えていることを
シェアしていきたいと考えています。
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もし、
お金が今より
軽〜く行き交う世の中になったら。
こんな風に
世のすみっこで生きてきた僕にとって
生き易くなるのか、
生き辛くなるのか、
来てみてみないと
わからないね。
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最近の時点での感覚は、
「お金のやり取り」ってやつが
とても面倒臭く感じるようになりました。
あれやこれや、
支払いの請求が来て、
支払いの「仕事」に労力使うのって
なんか本末転倒じゃない?
お金が入るわけじゃないのに・・・。
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「コロナ禍」の3年4年の時代を経て、
「こういう方法でやってみたらお金になった。
嬉しい!」
という歓びがなくなってしまった。
「働く意欲が無くなった」と言うと、
腑抜けた印象もあるが、
ルールに従うことで
仕事(稼ぎ)は与えてもらえる
という現実を知り、半ば呆れながら
従っている。
お金をいただくために、
いろんなアプリやら設定覚えたり、
ルールや規約を勉強したり。
お金のための「仕事」に
エネルギー費やして、
肝心の「生命活動」はどうよ?
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泣いて、笑って、助け合って。
育ち、育て、育み、葬る。
暮らし、営み、学び、分かち。
響き合い、巡り、描き、創る。
これらの大切な「価値」を
蔑ろにするようなお金の在り方が
続くようなら、
また別の価値の測りで生きれる文化を
探していかなきゃね。
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冒頭に、自分の生まれた年を書いて、
そこから想っていることを
言おうと思ったんだけど、
どんどん話が広がってしまった。
次のnoteで改めて
別の枝葉を綴ります。
徒然書き過ぎて4000文字だ・・・。
ここまで読んでくれた方、
本当にありがとうございます。