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適切な振る舞いと個人的な必要

言いたいことがまとまらず、いや、
まとまって、日々派生して
心の中で渦巻いているので、
前回のnoteの前半から
違う方向に行ってしまったnoteを
投稿しておこうと思う。

「言いたいこと」というのも
ちょっと違うな。
書き留め、記し、現しておきたい気持ちを
noteに書いている。

noteで
価値のある意見や、
価値のある情報、
アピールや、ニーズに応える
といった意図はない。

誰にも見せない「モーニングノート」の
少し彼の身(かのみ「神」)を意識して、
この身を丁寧に正せば、
少しは現実世界に
願い、祈りが届きやすいんじゃないかと
想って、
日々noteを書いています。

**********

こちらより

>こんなお金にもならず、
ほぼ誰も聴いていない行為を
「仕事」として、時間を決めて
労力を割いて、優先させている生活は
何の自慢にもならないし、アピールにもならない。

******

「どう? 最近。
ライブとかで忙しい?」

「いや〜 全然ですよ」

と、応え、
週2回のLive配信で忙しいことは
言わない。

*****

本物の、オフラインのLiveで
ステージに立つ機会があっても
このことをMCで言うことは
ないだろうな・・・。

「仕事じゃないでしょ?
趣味でしょ?」

という、
誰が言うのかわからない
自身からのツッコミが聞こえてくる。

******

でも、
ここで生きていきたい。と、
今は思っている。

******

noteとツイキャス。

以前は
オフライン(現実)の合間にする
自己調整時間だった。

現実優先だった。

noteに書くことで、
現実では主張しすぎず、
話を譲ることが容易くなった。

ツイキャスLIVEをすることで、
「何でもいいからステージをください」
と懇願する餓えは無くなったし、
いつも大勢の人の前で歌うには
そぐわない、
小さな心の声や、
倫理的によろしくない「心」の詩も
歌える機会が出来た。

********

「プロ」と自負して、
素晴らしい音楽活動を
繰り広げている友人が
周りにはたくさんいる。

彼らの生活も大変だろう。

コロナ禍は大変だったと思う。

みんな大変だったと思う。

コロナ禍の制限が解けて、
みんな活発に
活動を再開していると思う。

僕は・・・・もういいや。

と思ってしまった。

適切な振る舞いで、
より多くの支持を獲得している
お互いにメリットを得られる「彼ら」に
仕事してくれればいいんじゃないかと
思っている。

で、僕が消費者、観客として
足を運ぶかどうかは
僕の気分の自由にさせてください。

*******

ツイキャスLIVEで一人〜二人の視聴者がいても
何らかのイベントで
多数の前で演奏しても、
結果はそんなに変わらない。

イベントで
拍手と注目が集まっても、
終わればポツンと
ステージ袖に佇んでいる現実は
10代の時から変わらない。

「打ち上げ行くぞ〜!」
と仲間内で盛り上がった20代だって
ステージで音楽を奏でた
あの僕の想いの詩は
もういない。

何かを感じてくれたお客さんが
何人かいたとしても、
その独りで感じた感動は
「打ち上げ」には連れて行けない。

********

あんな音楽が求められている。
こんな音楽が求められている。

そこに通用するように、
いろいろ努力を重ねてきた。

おかげさまで
だいぶいろんなことが
出来るようになった。

これからも精進する?

何のために?

・・・・描きたかった表現を
アウトプットするために。
・・・でしかない。

ヒット曲を楽譜に起こして、
教えたり、
たくさん弾けたり歌えたり
出来るようになっても、

たとえそれによって
仕事の声が多くかかることになっても、
・・・そりゃ、
求められれば応えるけど、
求める声がないんだったら、
積極的にこれ以上、
このスキルを伸ばす必要を
もう感じない。

人付き合いのスキルの向上の必要性を
もうこれ以上感じない。

描きたいものがあるから。

描きたいものを描くことに
労力を注ぎたい。

描きたいものを
描けたその時に現れた現実に
一緒に居合わせてくれた人なら、
誠心誠意、大切に想える。

僕が選び、描いた現実を
自身が大切に出来なくてどうする?

数字が足りない。とか
金額が足りない。とか、
そこで「大切な現実」を
他者の社会に預けるような社会は
変えていきたい。

変えていこうと想う。

僕自身が変わっていこうと想う。

******

描きたいわけではない「現実」を
妥協して描いて、
日銭を稼いでも、
稼げたとしても、
そこに費やした時間と労力が
戻ってくるわけではない。

人生の残り時間は少ない。

同じ時間生きていて、
毎日、才能豊かな方々と
切磋琢磨して、
充実なアーティスト生活をしている
同世代の方々が
「成功者」としてたくさんいる。

彼らには
追いつけない、
敵わないし、叶わないと思ったりもする。

でも、
僕も同じ時間、
誰とも同じではない経験を
日々して、感じて、考えて、想って。

人生を使ってきたのだ。

羨み、蔑み、
妬み、讃え、噛み締め、味わい、
癒され、赦され・・・

出逢い、彼らを映して、
僕は想いを生み、生きてきた。

*******

もう、
他者、社会の価値軸で生きない。

自分から発して、
社会の変容を眺めるのだ。

こんな風に想うようになった僕も
ただの一般的な
時代の風潮の一人なのかとも想う。

だって、昔からある
日本国憲法で
「すべての国民は個人として尊重される」と
保証してくれてるもんね。

社会のために僕は生きているわけではなく、
僕のために社会は存在しているんだ。

しっかり理解して、
権利を利用して生きないと、
いつの間にか改制されちゃったりしそうだから。

**********

地域社会、文化、伝統が
次々と、日本から消えようとしている。
と言われている。

そう感じるし、
それは寂しいと思う。

でも、
自分の詩を
唄えない社会は
やっぱり僕にとって
よそよそしいものになってしまう。
とも感じる。

農作業にも、
PTAにも、
アルバイトにも、
子育てにも、
祭りにも、
「自分の詩」なんて
必要ないとは思っている。

そぐわない。

そこはTPOをわきまえるべき
と思うし、
別の価値がある。

それはそれでいいんだ。
野菜を育てよう。
米を作ろう。
屋根を塗ろう。

そんな村の生活に
「自分の詩の発表の場」を設けましょう。
なんていう企画が興されたとしても
なんか、違うよね。

無粋だよ。

茶でも飲んで、
地域の未来を語ろうよ。

******

一度、昔、
蛍が飛び交う場で、
ウクレレ弾いてくれ。っていう依頼で
弾いたことがあったけど、
ホント・・・やらなきゃよかった。

ラジオ流してるおっちゃんの隣で
ウクレレなんて弾きたくないし、
そんな必要ない場では
「綺麗ですね」って言って
笑い合ってれば
それが一番美しい。

*****

もっと大きなイベントで
「蛍コンサート」みたいなイベントも
この山村地域では
毎年行われて、

以前は、
なんで地元の「俺」に
声をかけないで、
ちょっと有名な「その人」に
声をかけるんだ!?

と内心震えた心持ちが
あるっちゃぁあったんだけど、
もう消えたな・・・。

むしろ出たくないし、
僕は、雑踏をそっと抜け出して、
静かな場所で
ウクレレを弾いていたい。

そこに
蛍や、野良猫がやってきてくれたりなんかしたら
超幸せだ。

そんな瞬間を、
今の時代なら
スマホでライブ配信ができるんだ。

誰かに
僕の一番幸せな時を、
届けることが出来るんだ。

素晴らしい時代だと思うよ。

******

散々、今までの現実の批判を
してしまったけど、
僕はこう想うようになった。

いい流れだと想うよ♪


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ウクレレ平魚泳
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