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先日のnoteで、 自分の生きた世代と、 自分の育った立ち位置を 言いつつ、 それを説明するだけ…
「夢なんて見てんじゃねーよ」 1995年。 僕は高校3年生だった。 「バブルが弾けた」 とか、…
今の若者ではないけど、 かつての若者の見ていた世界。 今の若者も、かつての若者も、 18やら…
「ごめんね。お客さん集められなくて」 「すいません。あんまり人呼べなくて」 ***** …
年を重ねる毎に 音楽活動がやりにくくなっていった。 いや、それはただの変化で、 時代と共に…
いつも15時から 30分間、ツイキャスLIVEしてるけど、 今日は夜中の22時から 人気のない、大き…
前日のnoteでは 1938年生まれの父が生きた ハタチ頃のメンタリティと、 1976年生まれの僕が生きた ハタチ頃のメンタリティを 時代の気配と共に考察した。 父は日記に 「立派になりたい」と綴り、 僕が生きた時代は、 父の「立派」に相当する言葉は 「成功」ではなかったか? と想ったのです。 父の育ったあの頃は インターネットも、 まして、テレビも その土地のお金持ちの家や、 商店街の電気屋さんに群がって 見ていた時代なのだろう。 お金持ちと貧乏人がいて、 お金持ちが
両親とも歳をとり いよいよ動けなくなり 実家を離れ、 僕の暮らす大分へ連れて来て、 現在、2…