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20231231 未だ見ぬたこ焼きを求めて
▼2015年に団体を立ち上げたばかりの頃。演劇について言いたいことや考えていることがたくさんあって、日々の稽古はそれとして、ドメインを手に入れたばかりのブログにたくさんの文章を書いていたように思う。「青臭いので、そのまま青臭くいるべし」というメッセージを送ってくれたのは同期のご母堂だった。はじめたてのうれしさ、みたいなものがやっぱりあって、いま考えると信じられないが小さなiPadminiのフリック入力で数千字超の文章を書いては夜中にうっかりそれが飛び、朝までかけてまた頭から書き直す、というようなことをしていた。
▼時間がたち、公演を重ねるごとにそうした文章を書くことは少なくなった。演劇に対して思っていることを戯曲のようなことばにしたり、当日パンフレットのご挨拶に書いたり、あるいはたまに個人のTwitter(現・X)に書いたりすることはあるにせよ、団体のブログや個人のブログにいわゆる″演劇論″みたいなことを書くことは少なくなった。そういうことを考えなくなったということではなくて、公演に向けての準備に注力するようになったり、あらたまって「演劇について」みたいなことを文章にすることへの必死さみたいなものが、単純に少なくなっていたように思う。
▼先日、団体のひとたちで集まって忘年会をした。予算ひとり1000円までとして食材を持ち寄り、鍋なのかたこ焼きなのか、そうしたものをつくって年の瀬に暖かく過ごそうという趣向だった。
そうしていざ集まってきた彼らの持ってきた食材を確認してみて驚いた。彼らが持ってきていたのはおでんのタネと、おでんのスープだけだった。おでんといっても大根や玉子はなく、練り物だけのストロングスタイルのおでん。そして一回分の鍋に対してあり余るほどのおでんのスープの素(あとなぜかカニカマはあった)。
「おでんで年が越せるのか?」という疑念が、大根に沁みるおでんのつゆのように私の頭の中を満たした。
▼そもそも今回「忘年会をやろう」と言い出した張本人が当日に仕事が入ってしまって来られない、であるとか、忘年会をやると言っていたのに仕事終わりにカレーを腹いっぱい食ってからやって来る奴がいる、であるとか、そもそもの忘年会に対する構えからしてすでに崩壊しているのである。そこへもってきて、おでん(練り物)一択の忘年会となることに一抹の恐ろしさを感じ、私は彼らと時間差で近所のスーパーへと走り、白菜やネギを買い物かごに放り込んだ。
▼彼らが持ってきたおでんと私がつくった寄せ鍋をつつき、ビールなどを飲み「ふぅ…」と一息ついた彼らはまさにおっさんであった。気が付けば主なメンバーは三十代も半ばに差し掛かり、食もめっきり細くなった。土鍋1ラウンド分のおでんを平らげたころには彼らはほとんどおなかいっぱいになっていて、「若いころほど食べられなくて…」とこぼす横顔には三十路男の哀愁が淡い影となって差し込んでいた。
▼誰のものでもない「ジジイ!」という罵声が頭の中に響いた。まだ何も成し遂げていないのに、なすすべなく老け込んでいくことへの強烈な拒否感が、私にインスタントの袋麺を開封させていた。その光景は矢沢永吉の『成り上がり』のテレビドラマのワンシーンを思い起こさせた(TOKIOの松岡昌宏演じる矢沢永吉が「どんどん喰え!」とバンドメンバーと袋麺で鍋をしていた)。
▼数分後には5袋分のラーメンで土鍋がパンパンになっていた。鍋いっぱいの、怒涛のような炭水化物。なんだかんだと文句を言いつつも、さっきまで完全に箸が止まっていた男たちも出来上がったラーメンをみて「美味そう」「ラーメンは別腹…」とそれなりに箸を伸ばしてラーメンを啜っていた。辛ラーメンのおかげで辛さが強調されたスープに「これを入れたら絶対にうまいから…」とコーラを入れた奴がいて、味見をした次の瞬間、彼の食べる手がふたたび完全にストップしていた。
▼私にとって、演劇について書くことは、彼らについて書くこととほとんど同義といってよい。脈絡がなく、歳を取り、すこしずつ自他ともに認めるおっさんに近づいている。演劇を通じて手に入れたいものが、しかし私にはあるのだった。惰性で歳を取るにはまだ早い。来年の忘年会には、みんなでもうすこし予算をとることができるようになるために、やれることがまだ沢山あるのである。