バニシング・ポイント
破滅のスピードで突き進む白のチャンピオン。
ナンバーはOA-5599。
巨体のブルドーザーが道を塞いでいる。
ハンドルを握るコワルスキーの真っ直ぐな目。
死の予感。
その予感は笑みに変わり、
私たちを心の底から興奮させる。
1971年公開のリチャード・C・サラフィアン監督作『バニシング・ポイント』。
4Kデジタルリマスター版が劇場公開されてることを知り、劇場に観に行った。
アメリカン・ニューシネマはやはり良い。
厭世的な行動と破滅的な結末。
全身で底知れぬ興奮を感じることができる。
1960年代にフランスで起こったヌーヴェル・ヴァーグの波は、海を超えてアメリカや日本などにも影響を与えた。
スタジオ・システムとヘイズ・コードの崩壊といったハリウッドの流れや、ベトナム戦争など当時の混沌としたアメリカ社会の状況などが重なり、生まれたアメリカン・ニューシネマ。
その代表作には、『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督、1967年)や『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー監督、1967年)、『卒業』(マイク・ニコルズ監督、1967年)などがある。
これは個人的な決意表明だが、
大学の卒論執筆のテーマをヌーヴェル・ヴァーグにするか、アメリカン・ニューシネマにするか、迷いに迷ってヌーヴェル・ヴァーグを選んだ。
このnoteは研究を再開させる良い機会だ。
今後、個人的な楽しみとしてアメリカン・ニューシネマについて継続的に書いていきたい。
話が逸れてしまったので、元に戻そう。
この作品に感じる、“興奮”の要素は一体何か。
それは「迫ってくる動き」と「時間」にあると考える。
この動きの原点は、映画の最初にまで遡れる。
『ラ・シオタ駅への列車の到着』
映画の父であるリュミエール兄弟の初期の作品で、駅に列車が到着する50秒の映画である。
この映画をスクリーンで観ていた観客は、迫り来る列車に驚き、席から転げ落ちたという話もある。
迫り来る鉄の塊に死の恐怖を感じた時、
それがスクリーンに写る虚構であると知っていても、私たちは目前まで迫った死に興奮するのだ。
偶然か、必然か、この映像効果を見つけ出したリュミエール兄弟、もしくはこの映像を撮ったカメラマンの映像センスには脱帽である。
『バニシング・ポイント』では、この原始の映像効果を巧みに使用している。
また、バリー・ニューマンが演じるコワルスキーの後ろの車窓には、猛烈なスピードで置いていかれる背景の残像が写っている。
人間を超えた速さをこのカットで感じる。
そして続くカットでは、クリーヴォン・リトルが演じるスーパー・ソウルのラジオ局が写される。
ここでは私たちと同じ時間が流れている。
このスピードの違い、時間軸の違うカットのモンタージュが私たちの感覚を狂わせ興奮させるのだ。
時間を自在操ることができる映画の強さを見事に活かしている。
ブルドーザーに突っ込み炎上するチャンピオン。
跡形もなく呆気ない最期。
この夢から突き放される感覚。
当時の政治的な背景や、アメリカ社会の雰囲気がどうだったのか、私にはわからない。
だが、この夢から覚めた感覚は、
映画が終わって席を立つあの時に似ている。
『バニシング・ポイント』は“映画”への回帰を
感じさせる作品であった。
評価: ☆☆☆
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