『マチネの終わりに』第八章(4)
弁護士によるならば、非常にスムーズなケースらしく、子供も小さいだけに、条件の見直しに関しては、柔軟な内容となっていた。しばらくは、月の前半は、リチャードが日曜日から水曜日までの四日間、洋子が木曜日から土曜日までの三日間、ケンと一緒に過ごし、後半はその逆にするという取り決めで、夏季と冬季の長期休暇も含めて、年間を通じて丁度半分ずつ面倒を看ることになった。ヘレンと再婚し、姉のクレアの家族も近所に住んでいるリチャードと違って、ニューヨークに一人でいる洋子にとっては、容易ではなかったが、致し方なかった。
離婚を決断してから、洋子にとって意外だったのは、クレアの態度の冷淡さだった。リチャードの両親もやはりそうで、当然と言えば当然だったが、その変化があまりに急激だったので、かつて自分に向けられていた彼らの優しさまでをも、彼女は寂しく振り返った。
それぞれの新居も整わないので、しばらくケンは、今あるチェルシーの家で代わる代わる育てることとなった。家賃は、リチャードが支払い続けることとなった。洋子は、そこから歩いて行けるほどのグリニッチ・ヴィレッジにひとまず一人用の部屋を借り、リチャードとヘレンは、トライベッカに広い部屋を見つけたらしかった。
正式に離婚が成立し、いよいよ今日の午後から初めて、リチャードとヘレンにケンを託すという日曜日の朝、洋子は、リチャードにケンの着替えやおむつ、お気に入りのおもちゃなどの一揃いを説明したあと、三人で、自宅近くのハイラインに散歩に出かけた。
ウェストサイド線の支線で、長らく廃止されていた高架貨物線跡を、空中遊歩道として再開発した公園で、昨年の公開以来、近隣住民だけでなく、早くも知る人ぞ知る観光名所となっていた。
方々にかつての名残の線路や枕木が覗いていて、複雑に屈曲した遊歩道の両端には、二百十種類に及ぶという様々な植物が緑豊かに植栽されている。
晴天の清々しい日曜日で、まだ工事中の二十丁目よりも先を背にして、彼らはハドソン・リヴァーを右手に、ミート・パッキング地区の方に南下していった。
第八章・真相/4=平野啓一郎