祝祭。
これは、僕にとってはかなり踏み込んだ大胆な宣言ではある。
社会的・家族的にスタンドアロンで孤独になった「わたし」という自意識であれこれ悩むジメジメとした「個人の時代」が終わって、わたしとあなたでワイワイと楽しく明るい「参加型の時代」がやってくる。
なぜそんなことが可能になるかというと、高度情報化社会によってわたしとあなたが繊細な情報を交換できるようになるから。わたしはあなたで、あなたはわたし、という感覚が芽生えるからだ。
そんなことが可能なのか?と思う人もいるかも知れない。だが、近代から現代までの300年ほどだけの変化だけでも、個人の意識というものはものすごく大きく変貌している。おそらく日本でもこの100年前の「わたくし」という意識と現代のそれではまったく理解できないほど違いものなのだ。
この変化をスピリチュアルだと感じる人もいれば、AIなどのテクノロジーによる意識の変革(攻殻機動隊のような)と捉える人もいる。
僕は後者の立場を取りたいのだけど、結論としてはどちらも同じことを別の角度から述べているだけなので、まあどっちでもいっか、と思って僕自身の許容範囲が広がっているのも事実。攻殻機動隊でも巫女はいるし、ゴーストを追っていけばやはり同じところに行き着いてしまうわけだし。
つまり、人は自分の物語の中を生きていて、その物語はその時代その時代の環境によって変わっていくのだ。インプットが変われば、アウトプットが変わるのは当然のことだ。人の意識というものは何万年も変わらないシステムで動いているのだけど、時代時代でその上で動くアプリケーションは常に違うものが開発されて稼働している。そこは流動的なのだ。
で、大きくその環境が変化しはじめた。
わたしたちは、新しい環境を手に入れ始めている。
なので、これは祝祭だ。
祝祭とは、何かの終わりに次の季節への願いを込めて祝うことだから。
人間の幸せとは小さなもので、その小さなものこそが大切だ。
お金のような数値で測れるものではないし、並べて保管しておくこともできない。その場にフワッとただその気配があるだけで、それはわたしとあなたの間にだけ存在する。その儚い気配を求めて、わたしたちの自意識はずっとあがき続けてきたわけだ。
でもこれからはネットでずっとつながりっぱなしの人間関係が可能になる。それはSNSのような虚栄心や承認欲求を満たすための行為ではなく、お互いに望むままに何かのやりとりを続けるということだ。それが価値があろうとなかろうと、やりたいことをやりたいようにやれる仲間との出会いがはじまる。
それが連鎖すると、参加型社会が訪れる。
参加型社会は、ジメジメとしたこれまでの社会と違って、楽しく明るい。みんなでバンドをやるような感じだ。気の合う仲間は、地球の反対側にいるかも知れないし、自転車で15分の距離にいるかもしれない。距離は関係ない。
だからみろ、中老の男(71)は、レゲエ風アバターに自分のプロフィール画像を変えて、ふてぶてしく「俺は生まれ変わった」とか言い出してしまった。でも僕はその気持ちが分からなくもない。せっかく生まれたのだから奴はこの世を満喫したいのだ。新しい時代が来る!と思ったら祝祭をあげるのは、ロックを愛する男としては当然のことだろう。生きているうちに、夢にまでみて恋焦がれた参加型社会が来そうじゃないか、改めておめでとう。
それと、そんな生き方が地球環境的に許されるのか?みんながそんな気持ちで生きていけるのか?というのはまた別問題ではある。そこは簡単ではないことは、十分承知の上での話。だけど、ただですら地味に辛い時期なのだから、ここはひとつ、新しい時代の始まりを祝おうじゃないか。
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参加型社会学会・ 深呼吸学部「ZoomとVR 旅芸人の一座」
さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…
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