何でもできちゃうってことを知ること。
「子どもの好奇心を育むアイテム買いませんか」みたいな案内がよく来るのでその度に思うので、きっとこれも重複投稿になるだろうけど、「なぜ子ども向けにわざわざつくる?」という疑問。
前はそんなこと思わなかった。でも今は凄く違和感。我々大人の想像する範囲の好奇心なんてちっぽけなもんだよ。
今日たった半日、VRのプログラミングについて齧っただけでもYouTubeには一生かけても見切れないだけの講義があって、しかもその配信者にTwitterで質問できて、当たり前だけど無料だ。開発ツールも基本無料だ。昔なら学校に学費を払い、就職しないと出来なかったことがイマココですぐに始められる。都会に出る必要もない。
じゃあ一体今までの「必要だと思われていたこと」とか「夢のために頑張る」みたいなことって何だったんだよ?って話で。今となってはただの遠回りじゃないのかよ。「そんなんじゃ世間で通用しないぞ」なんて説教されたこともあったけど、その世間ってもう詰んでるじゃん。そこで通用しちゃう人間になるほうがむしろマズイじゃん。
ハードにしても、おじさんおばさんがメッチャ丁寧に教えてくれる人脈なんて、今なら小中学生はいくらでも作れるぞ。英語を少し勉強すれば何でも取り寄せられるし、この前どこかの中学生がミニ核融合炉つくって怒られてたな。あれはやりすぎだったね。
とにかく、ハードであれソフトであれなんであれ、子ども向けの劣化版なんて本当にいらないと思う。なぜそう考えるのか?
大人は多分「子ども時代は練習の時期。大人になってからが本番だ」と思ってる。でもそれは違う。もういつだって人生は本番なんだ。始まりもなければ終わりもない。ただ、誰かに守られている時期と、守られていない時期があるだけ。そしてそれは年齢の上下とは関係ない。歳とっても守られてる場合もあれば、小さくして守られていない場合もある。逆も然り。
つまりはサバイバルなのだ。
それは「世間は厳しいぞ」みたいな意味での陳腐なサバイバルではない。世間などでサバイバルはしないほうがいい。やるならあまり人のいないところでサバイバルしたほうがいい。そして出来ればゆったりのんびりサバイバル出来たほうがいい。
だから楽しくサバイバルできそうな仲間と場所と目的を探すんじゃないのか。それが生き方を見つけるってことなんじゃないのか。
それがこれからの時代なんだよね?
結構簡単になんでもできちゃうんだよね?
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参加型社会学会・ 深呼吸学部「ZoomとVR 旅芸人の一座」
さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…
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