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永田町の獣道、料亭で肩を叩かれた日のこと。

ハワイに慣れすぎた薄着の皮膚に12月の永田町の風が刺さる。特に石造りのイメージの強いこの街の底冷えをよそに、中老の男(70)が目の前を足早に歩く。

僕は息を切らしながら想像する。彼が若かりし頃、この街はどう見えたのだろう。きっと灼熱の岩の如く熱くグツグツと煮えたぎっていたに違いない。だがそれも今は昔、国土改造も学生運動も脱原発もないコロナの冬、政治は季節を失い冬眠しているように思える。もしくはそのシステムにウイルスという攻撃を受けてひたすらに身を固くし硬い甲羅に包み息を殺している石の街は、薄い青と灰色と空虚に透き通る空気に包まれていた。

僕らは議員会館の隣にある北海道旭川市事務所を訪ねた後、起伏の多い永田町と虎ノ門を再び息を切らしながら歩き回る。

「昔はどこにでも立ち寄る場所があったんだ」。
ロッキングオンを立ち上げ、音楽やサブカルの最先端を泳ぎ続けたこの男にとって、この政治の街は遊び場であり試合場であったことは間違いないだろう。

戦後の闇市から一気にこの国のあらゆるものを垂直立ち上げした世代から続く「自分たちの手で社会を創り上げていること」の実感。それを疑うことなく信じられた最後の世代。僕にはその感覚はない。生まれたときからすでに巨大で強固なシステムがあったから、右翼左翼、全共闘や論争はモノクロの写真の中の「歴史」であり、リアルではない。

中老の男の隣に初老の男性がいた。彼らは地下道やビルの中を、まるで森の中の獣道のように自在に歩く。いくつもの川を超え木々をくぐり抜け岩を乗り越えて獣道を通って虎ノ門の料亭に着いた僕らは昼食を摂ることにした。

ここでやっと自己紹介である。
初老の男性は、全共闘時代の男であり、中老の男とは中学三年生のときからの付き合いだと言う。なんと50年!僕、新入りすぎて気絶しそう!

「なぁ、LINE、LINE交換しよう」と言われフレンドになると、しゃぶしゃぶを食べながらどんどん不思議な写真や動画が送られてくる。
「ゴールデン街に行ける日はいつ?LINEで空いてる日程教えてよ」と優しい口調で聞かれた。
ヤバい。自分で求めていた事とはいえ、これ、ガチなゴールデン街へのお誘いじゃん。

三島由紀夫のドキュメンタリーすらちゃんと観てない僕だけど、この人たちは「三島」とか「芥」とか呼び捨てにしてなんなら安田講堂にリアルタイムでいた人たちじゃん。よく見たら首から議員会館の入館証ぶら下げてるじゃん。

…もしかしてこのふたりは、50年前からずっと文化と政治のフィールドで激しく遊び続けてる仲なのか?

何か心がザワザワする。ちょっとビビりながらも僕はデカい皿に盛られた肉をとにかく口に入れ続けた。僕はメチャクチャ早食いなのだ。それでもようやく1枚目の皿を食べ終わったところだ。
「なあ、肉は皿二枚だからどんどん食べて」と全共闘時代の男性が「食え食え」とゼスチャーしながら言う。男性は終始物腰も口調も優しい。それでも僕は口の中を肉でいっぱいにしながら「はい!」と返事するだけで精一杯だ。

ふと、中老の男に目を向けると、なんと奴は2枚目の皿の最後の肉をしゃぶしゃぶするところではないか!もう食い終わるのかよ!

「え!!はやっ!!!」と僕は叫んだ。何度も言うが僕はものすごい早食いなのだ。
「なんだよ平野、おせーのな、お前」と得意げに笑う中老の男。いやいや、おめーが早すぎだろ!

「もう最近疲れちゃって少食だよぉ」と曰う男に「もう橘川さんのボケにツッコむのも飽きてきたし」とツッコむ。会計を済ませようとしたのでさすがに「いや、僕も出しますよ。割り勘にしましょう」と提案した。こんな料亭で貸し借りなんかを作ったらそれこそあとあと大変なことになるぞ、と僕の野生の勘が叫んでいた。

すると全共闘時代の男性がやおらに僕の肩を叩いて「三兄弟なんだから、長男が払って当然だろう?」と言うので、素で「え?兄弟って誰のこと?」とタメ語で聞き返してしまった。

すると全共闘時代の男性が、僕の耳元で優しい声でゆっくりと囁いた。
「俺たちとキミのことだよ、よぅ、三男…」。

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