第5回 毎月短歌 杜崎ひらく選 各賞発表!!
はじめに
この度は、「第5回 毎月短歌」へのご参加ありがとうございます。
人間選者の一人を努めさせていただいた杜崎ひらくと申します。
自由詠、題詠、自選の各部門を合わせて500作を超える歌を、作者名を隠した状態で拝読し、僭越ながら選をさせていただきました。
賞に選ばれた方はもちろんのこと、参加してくださった方も、参加していないけれどこの発表だけご覧になっているという方も、各賞の歌の鑑賞を通して一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
各賞について
各部門からサンタクロース賞とトナカイ賞として二首ずつ選びました。
サンタもトナカイもどちらもプレゼントを運ぶ大事な存在ですので、優劣はございません。
自由詠部門
自由詠部門 サンタクロース賞
神様は私をレンチンする時に外装フィルムを剥がし忘れた/遠藤ミサキ
神さまのするレンチンとは、この世に命を誕生させる準備のことだと読みました。主体は生まれる時に神様の手違いがあったと感じざるを得ない現状を抱えているのでしょう。その原因を外装フィルムの剥がし忘れにたとえたところにユーモアがあり、主体の人柄が垣間見えるようです。神様はきっと慌てたことでしょう。異変に気付いてすぐさまレンジを開ける姿が浮かびます。大丈夫、外装フィルムの剥がし忘れは、それほど中に包まれたものに影響しません。だから神様はほっとして、そのあとちゃんと温め直したと私は思うのです。ただ、温め直しは、一から温めるのとはちがって塩梅が難しいもの。だからそのときにちょっとほくほくにしすぎてしまったかもしれません。ほくほく。そんな主体に温められた人が、きっといると思います。
自由詠部門 トナカイ賞
呼吸器の管の蛇腹に結露する水の嵩見て思ひ知る冬/菊池洋勝
冬の到来を知るきっかけは様々で、人それぞれ、地域によってもちがいがあると思います。この歌で冬の到来を知らせているのは、呼吸器の管の蛇腹に結露する水の嵩です。そこに主体のまなざしの冴えを感じると同時に、4句目の途中<水の嵩>まで、22音という実に歌の7割もの音数を費やして提示していることに、見るしかない、見ているしかない、嫌でも観察者でいるしかない状況が暗示されているのではないか、とも感じます。呼吸器が他者につけられたものなのか、主体につけられたものなのかははっきりとは書かれていません。しかし室内というある程度は寒さから守られた場所にいたとしても、呼吸器の管の内と外との温度差は生まれてしまい、主体にとっての冬の抗えなさ、厳しさを、<思ひ知る>という表現が物語っているようです。呼吸器をつけなければならない者に、今まさに峠のように冬が立ちはだかろうとしている。その様を見ている主体の目。この歌を作り出したその目の力に、命の強さも宿っているように感じます。
題詠「食」部門
題詠「食」部門 サンタクロース賞
定食のご飯がなんか少なくてあのおばちゃんが辞めたのを知る/宇井モナミ
この世には、歴史の表舞台には名を残すことのない、無数の名もなきヒーローが存在しています。おばちゃんもきっとその一人だったのでしょう。ある日減ってしまったご飯の量。<なんか少なくて>ということは、あからさまなちがいではない感じがします。おばちゃんも多く盛っていたつもりはなかったのかもしれません。でも、<なんか少な>い。これは話し言葉が効いた絶妙な表現だと思います。減ってしまったご飯の量だけでなく、心によぎった最初の寂しさのサイズも言い表しているかのようです。そして<あの>おばちゃんが辞めたことに気づいて、ちょっとした喪失感に変わる。<あの>というくらいですから、よく見知っていたのでしょう。言葉を交わしたことがあるかは分かりませんが、行けばいつも居る、そんな存在だったのかもしれません。おばちゃんが守っていたのが、主体にとってはご飯の量だけではなかったことを物語っているようです。胃袋よりもむしろ心の方。私たちはいつでも名もなきヒーローに支えられている、しかも知らず知らずのうちに。そんなことを思わせてくれる歌です。
題詠「食」部門 トナカイ賞
「彼女とは来んよ」ときみは笑いをり私ビールと酢豚の女/つし
「彼女とは来んよ」を、<きみ>は一体どういう意味で言ったのでしょうか。彼女とはこんな店には来ないともとれるし、彼女とは来ない特別なお店であるともとれます。いろんな受け取り方のできるこの台詞が歌の読み方を分け、数多のドラマを生むところがとても魅力的です。まさに魅惑の台詞です。主体はどうかというと、この言葉をどうやらちょっと卑屈に受け取っているようです。自分はどうせ<ビールと酢豚の女>だと。そして彼女がいながらそんなことを言って笑う<きみ>にずるさも感じています。同時に、<彼女>とはちがう今の関係性にある種の特別感、優越感もちょっとある。主体がビールと酢豚の女なら、<彼女>はワインとフレンチの女でしょうか。一つだけ<きみ>に言いたいのは、ワインとフレンチの女と別れたとしても、安易に主体に乗り換えないでほしいということ。主体には、ワインとフレンチも、ビールと酢豚も、どちらも彼女として食べられる、そんな人と幸せになってほしいと思います。
11月自選部門
11月自選部門 サンタクロース賞
眠るひとの睫毛に光がとまってる 部屋のどこかに神様がいる/烏山千歳
睫毛というとても小さなものに注目しているということは、顔を寄せて近くに相手を見ているのでしょうか。相手がとても親密な、いとしい存在であることを、見つめるその近さで表している、しかもその距離が明言せずに伝わってくるところが見事だと思います。睫毛にとまっている光も小さく、またその小ささゆえに主体には光源が分かりません。窓や扉の隙間など、通常光の射してくるところとはちがう場所から、この光はどうやら届いているようです。そんな不思議を目の当たりにした時にふと、神様、と思う。きっと主体には、眠るひとを神様が見守っているように感じられたのでしょう。でも、もし眠っているのがどうでもいい人だったら、果たして神様の仕業と思うでしょうか。そもそも睫毛の光にすら気づかないかもしれません。神様がいる。そう思えるほどの存在がいることの幸福を受けて、この歌は生まれたのではないかと感じます。
11月自選部門 トナカイ賞
今月も解けずに帰る婦人科の待合室に知恵の輪ひとつ/小石岡なつ海
今月も。いきなり現実を突きつける初句が、読む者を惹きつけます。きっと、数ヶ月に渡る長い期間を、婦人科に通い続けているのでしょう。解けない知恵の輪が、婦人科にかからなければならない状況が一向に解決しないことを示唆しています。今回もまた解決しなかった。肩を落として帰っていく姿が浮かび、胸が痛みます。知恵の輪も、パズルであるからには解けるはずですが、あまりにも解けないと、本当にこれは解けるものなのかと疑いたくもなります。また、自分にとっては難しくても、ほかの人にはあっという間に解けてしまうことも、パズルならあります。パズルを解いて(良くなって・解決に近づいて)帰っていく人がいる中、自分だけが取り残されているような寂しさがうかがえるのは、歌を<ひとつ>で閉じているのが効いているからでしょう。いつまで続くのか、そしていつまでも解けないのではないかという、不安。しかしながら私がこの歌から感じるのは、今月も、主体は知恵の輪を解こうとしたということであって、決して投げ出していないということです。ふっと外れるときを、願ってやみません。
さいごに
「第5回 毎月短歌」に歌を寄せていただいたすべての作者と短歌に感謝するとともに、皆様の短歌への熱意に頭の下がる思いです。
今回は各部門から二首ずつ、合計六首を杜崎ひらく選としてご紹介いたしました。
気持ちや、体験、思ったこと、はたまた想像を歌にすること。
反対に、歌にすることでようやく形になる気持ちや、体験、思ったこと、そして想像。
日々これらに向き合い続ける皆様に敬意を表します。
また、毎月短歌では、皆様からの短歌の投稿を随時募集しております。
毎月さまざまな選者の方がご登場されますので、ぜひご参加をお待ちしております。
第6回の募集も始まっております。
それでは、どうぞ良きクリスマスをお過ごしください。
メリークリスマス☆
杜崎ひらく