第3回 消えた炭酸水を探して
短歌を始めて間もない頃に出会い、最近になってその魅力に気付いた歌があります。
竹内亮さんの第一歌集『タルト・タタンと炭酸水』に収められている歌です。なるほどタイトルのタルト・タタンはこの歌からか。では、炭酸水はどの歌からだろうと探したとき、「炭酸水」という語は歌集のどこにも見当たりませんでした。
はて、炭酸水はどこから来たのだろう。
今回の「短歌をひらく」は、タイトルにはあるのに、本編中にはない、消えた(あるいは現れた)炭酸水を杜崎なりに、あくまで推測の域を出ないけれど探してみます。
『タルト・タタンと炭酸水』との出会いは、2020年。
僕がまだ短歌を始めて間もない頃で、歌を読んだ時に浮かび上がってくる風景や空気、静けさ、まるで映画の中にいるみたいな感覚の虜になりました。刊行が2015年なので、5年も遅れて知ったことを悔しく思ったくらいです。
タイトルも思わず声に出して読みたくなる。繰り返される「た」の響きが心地よくて、「た」の音や発音を邪魔する語が一つも入っていない。
「た」と「ん」と「さ行」と母音の「い」。
完璧とも思える言葉。なのに、炭酸水はどの歌にも登場しません。
タルト・タタンの歌は、夏の「君(きみ)」との日々を描いた連作「タルト・タタン」の4首目にあります。
「君(きみ)」と一緒にいることの喜び、夏がもたらす二人へのささやかな祝福の数々が込められているように思います。
だけど、炭酸水はない。
その中でも、もしかしたら、と思った歌が一つあります。
「風の匂いの飲み物」が、もしかしたら炭酸水のことなのではないか。
確かに、歌集の中で登場する飲み物たちはこの歌以外はきちんとコーヒー、コカ・コーラ、スリランカの紅茶、ソイラテなどと具体的で、はっきりとしていないのは「風の匂いの飲み物」だけです。
しかもこの歌の主役は「キャベツ色のスカート」だと僕は思っています。歩いてきて、立ち止まって、選ぶ。この一連の動作から、道端の自販機で飲み物を買う光景が浮かびました。主体は少し離れたところから見ていて、何を買ったか見えなかったのではないか。買うものを選び、ガタンと出てきたものを取るためにちょっとかがんだ時、スカートがさらに際立つ。そのスカートの鮮烈な色彩の前では、おそらく何を買ったかなんて問題ではなかったはずです。
そうなると、やっぱりタルト・タタンの歌の中に炭酸水を探してみた方がいい気がしました。
改めて読んでみると、不思議な歌です。
初句、二句・三句、四句目の途中の「まなざし」のあとに助詞、つまり文章をつなぐ語がなくてそれぞれ切れています。
助詞を省略した歌は歌集の中にたくさんあり、竹内さんの場合、それが歌を風景画的にしているのがとても魅力的です。歌を文章ではなく、一枚の絵たらしめる要因として働いている気がします。見たものを、率直に並べていく感じです。
タルト・タタンの歌はどうでしょうか。
最初は夏の海でタルト・タタンを食べているのだろうと思いました。
でも海でタルト・タタンを食べるだろうか。
海辺と読み換えてみても、じゃあタルト・タタンの向こう側とは一体なんだろう。海辺の喫茶店か何かで「君」と向かい合わせで座っていて、テーブルの真ん中にタルト・タタンが置いてあるから、「君」がいるところを向こう側と呼んでいるのかもしれない。しかしそのあとにいきなり「まなざし」という語が現れる。誰の? 何への? 「君の手の上で揺れ」ているのはなに?
たぶん、海辺の喫茶店で、テーブルに置かれたタルト・タタンの向こう側に「君」が手を置いていて、それを見つめている、という光景というよりは状況なのだろうと僕は思いました。
さて、ここから先はかなりの推測になります。
きっとそのテーブルの上に、炭酸水があったんじゃないか。
ただ、この状況を書き留めるために、歌にするために、要素を選びに選んで、結果的に炭酸水は抜かれたのではないか。
そしてそれは同時に主体の「まなざし」の中に映っているもののリアルさでもある。夏の海、タルト・タタン、その向こう側に置かれた君の手。それだけが主体の目には映っている。炭酸水は、そこにはあるけど、まなざしの中にはない。
そう、だからきっと、炭酸水はちゃんとタルト・タタンのそばにあった。ただまなざしには入りきらなかった。
これが僕の推測です。
もちろん、ここに書いた僕の推測は、完璧に間違っている可能性の方が高い。
だけど、タルト・タタンに登場する「まなざし」というものをいろんな角度から見てみた時、竹内さんの風景画的な歌の魅力や美しさ、ちょっとした秘密を垣間見れるのではないかと考えたのでした。
何をどう見つめるか、そのまなざしに何を映すのか、言葉を扱う時、非情な選定の作業は少なからずあります。例えば友達と気楽に話している時でさえ行われているでしょう。
その、使われなかった言葉、まなざしからは漏れてしまった言葉というものにもまなざしを向けたいという思いが、『タルト・タタンと炭酸水』というタイトルには込められているような気がします。
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