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スイスで介護ヘルパー!その8「ドイツ語が聞き取れなかった私とアッカーマンさん(前編)」#入居者さんの思い出


「え~っ、私また1号室から10号室!?」マリアが大声を上げた。
誰がどの部屋を担当するか、私たちは希望を出せない。やり方がコロコロ変わるのだが、あの当時は2人がチームを組んで10人ずつ担当すると決められていた。どちらがどこへ行くか、最終的にチームの2人で話し合う。
 けれど全介助の入居者さんは2人がかりでやるしかなく、選択の余地がない。逃れられない。

「私、もう5日連続で1~10よ? 5日連続、アッカーマンさんよ!?」
 マリアの悲痛な叫びに、オフィスでは笑いが起こった。それが何を意味するか、これからお話する。
 


敬遠されていたアッカーマンさん


 アッカーマンさんは、ショートカットにハッキリと見開いた目。お顔はしわしわながらも、はつらつとした雰囲気をただよわせた女性である。両脚が動かず、常に車椅子。下半身は硬直しているため、てこの原理を使ってベッドから車椅子に移動できる人もいたのだが、普通はみんなリフトを使用していた(↓リフトについては、シュミットさんの章を参照↓)。

 しかし、マリアが叫んだ理由は、べつにアッカーマンの移動が大変だからではない。
 このアッカーマンさんという女性は、のべつ幕なし、もうひっきりなしにしゃべっていた。この、重度のおしゃべりというのが、職員みんなの悩みの種になっていたのである。
 
 アッカーマンさんがおしゃべりなおばあちゃんということは、入社してすぐに私も気づいた。

 おそらくは寂しがりや、楽しいことが好き、頭の中はいろんな考えでいっぱい、思いついたことは誰かに聞いてほしい・・・いろいろな理由は考えられるが、さらにまたアッカーマンさんは認知症を患っていた。

 だから、ただでさえおしゃべりなのに、さらに認知症なんて、とても相手にしてられないよ・・・と職員一同口をそろえていたわけではない。
 が、実際のところアッカーマンさんは、話し相手が見つからず、ぽつんと一人でいることも多かったのだ。

 そこへ、私が目をつけた。

 当時の私は、新米も新米。介護ヘルパーの資格を習得したばかりで、経験はほとんどなかった。やる気に満ちていたし、ある意味、怖いもの知らずでもあった。
 

午後は楽しき我が職場


 私の勤務する施設の良いところは、人員をケチらないところ。特に早番と遅番の両方がいる1時から4時は、全28室に対し、多いときだと10人もの職員がいる。
 私はほんの数日ほかの施設も体験したのだが、こんなにも人員的に余裕を持たせている施設をほかに知らない(ただし日によって、また時期によって違う。職員に病欠が多発する時期もあるし、入居者さんの中で体調の悪い人が続出する日もある)。

 というわけで、午後は職員各自が自分でやることを見つけて、それぞれ取り組む。洗濯ものの配布や備品の補給などの仕事を割り当てられることもあるが、そうでない場合は、もっぱら退屈している方を見つけてお相手をする。

 いや、お相手してもらうと言った方が正しいかもしれない。少なくとも私は、うまくお相手が見つかると嬉しい。話がはずめば、そこから爪切りや女性のおヒゲの手入れが始まることもあるし、お散歩やゲームに発展することもある。もうナースコールそっちのけで、楽しんでしまうこともある。
 そんなことも可能なのは、ほかに手の空いている職員がいるからだ。

 残念なことに、職員同士で話に花が咲いていることもあり、特に上司のいない週末などは顕著。入居者さんたちの集まる共有スペースでなく、オフィスに座ったまま出てこない人さえいる。今、ここに同僚たちの悪口を書いても仕方ないが、事実は事実なのである。

日本人は真面目だから??


 ちなみに私は、その中に入っていない。入社当時はとにかく一切なかった。今もほとんどない(夜、みんなが寝静まった後は、オフィスに座っていたりするけれど)。
 誓っていうが、これは自慢ではない。

 それでは何故、私がおしゃべりの輪に入らないのか。勤勉で真面目な日本人だから?それもまあ、多少はあるかもしれないが、それよりも真実がある。同僚とのおしゃべりを、実はあまり楽しめない。

 というのは、私はドイツ語が苦手なのだ!入社当時は、自分の実力が周囲にバレたらどうしようと、ビクビクしていた。そして5年たった今でも、残念ながら苦手意識は消えていない。

  入社当時、私のドイツ語レベルはB2つまり中級後半。けれど実践が足りず、特に会話が苦手だった(ちなみに今もB2だが、当時よりは実践を積んでいるので、多少は自信がついたB2)。

 スイス赤十字社のサイトによると、スイスの介護ヘルパーは、B1のレベルがあれば良いとされている。が、現場で働いた実感としては、B1ではとても足りない。B2の今でも苦しい。

  日常的な仕事の指示や伝達は、毎日同じことのくりかえしだから何とかなる。が、みんなが方言(スイスドイツ語)を全開するミーティングなど、当時は聞き取れず、よく船を漕いでいた(ヘルパーは医療行為をしてはいけないので、専門的な話についていけなくても、まあ許されるのだが)。

 さらに話題が多岐にわたる、ただの世間話が、またつらい。だから、休憩時間や仕事中に同僚とおしゃべりしても、話についていけない、ということが少なからずあるのだ。スイス人の中ではもちろん、外国人同士の輪にも入れないことがある。みんなが笑っているのに、ひとりだけ笑えない。せっかく日本について質問してもらっても、うまく答えられない。ボキャブラリーは少ないし、気の利いた表現も出てこない。
 

こんな私にも居場所はあった


 ただし、救いの手は差し伸べられていた。お年寄りはたいてい、しゃべるスピードがゆっくりであるという点だ。私はこれにずいぶん助けられた。私でも、聞き取れちゃったりするではないか!

 あともうひとつ、救われた点を挙げるなら、認知症の方は私のなんちゃってドイツ語を受け入れ、間違いを指摘したり言語を切り替えたリせず、そのまま会話を進めてくださるという点である。

 スイス人は概して語学の天才なのだが、そのわりにオープンではない。自分たちの都合で、今あなたとは〇〇語で話す、と勝手に決めてしまうようなところがある。私はどうしてもドイツ語で話したいのに、ひたすら英語で返答してくる人がいる。私は理解しているから返答しているのに、私の話し方がたどたどしいと、英語で通されてしまう。できないのに無理しなくていいわよ、私は英語ができるんだから、といったところか。
 だから上達しないのだ!と、自分の努力不足を棚に上げてスイス人のせいにしていた・・・。
 
 そんなわけで私は、同僚とのおしゃべりよりも、なんちゃってドイツ語で遠慮なく話せる入居者さんとの会話のほうがだんぜん楽しいのだ。
 ドイツ語は圧倒的に実践が足りていないので、認知症の方との会話はその絶好の実践場となったのである。(後編につづく)

おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。