スイスで介護ヘルパー!その1「バトルはあれど、憎めなかったイェガーさん」#入居者さんの思い出
長い付き合いだったイェガーさん
3日間の休みが明けた。出勤してみると、イェガーさんが亡くなっていた。
入居者の死亡が出ると、名前と遺影が施設の受付に掲げられる。それを見るたびヒヤッとするのだが(ドキッとする時期はとうに過ぎた)、とりわけ仲良くしていただいた入居者の死は、今でも受け止めるのが難しい。
笑うことがほとんどなく、化粧っ気もおしとやかな言動も一切なかったイェガーさん。ところが若かりし頃はカメラに向かって、微笑みすら浮かべていたのだ。写真につい見入ってしまった。真っ白いショートヘアは同じだけれど、目つきがなんだか初々しかった。なんと赤いネックレスまでしていた。
とはいえ、イェガーさんと私は特に仲が良かったというわけではない。
私がここスイスの、とある介護付有料老人ホームに就職して5年が過ぎた。当初いらした方は全員亡くなってしまったが、新たに入居してきた方の中では最も長くいたのがイェガーさん。つまり長い付き合いだったのである。
歩行器から車椅子、そしてリフト移動へ
入居当初、イェガーさんは椅子から立ち上がるのが一苦労。2,3人で彼女の背中を押したらやっと立てるという、がっしりした体格だった。私たちがイェガーさんの移動に体力を総動員する場面で、彼女はいつも「腰!腰に気をつけて!」と気遣ってくれた。
けれど何時間も座って読書している分には、全く手がかからない。
コップ一杯の水を持っていってあげると、「私の心が読めるの?」と不思議そうに見返してくるのだった。
やがて歩行器でもおぼつかなくなったイェガーさんは、車椅子になった。
私が新米だった頃、イェガーさんをトイレの便座から車椅子に移動させようとして失敗し、危うく床に落としそうになったことがある。お尻の一部をどうにか車椅子に乗せた私に、向けてきた非難のまなざしが忘れられない。
当時、イェガーさんは必ず二人がかりで移動させるよう言われていたのに、私がそれを守らず一人でやってしまったために起こったことなのだ。
そしてまったく立ち上がれなり、ついに電動リフト出動となった。半身不随者やもう立てない人は、体にベルトを装着し、リフトで持ち上げ、車椅子からトイレへ、ベッドへと移動させる。
初めはリフトを嫌がっていたイェガーさんだが、ある日を境に受け入れるようになった。離陸の前に必ず「ヒンメルファート!」と言うようになったのだ。ヒンメルファートはキリスト昇天の意味だが、「空高く上がれ!」と自虐的に言っていたのである。
そうやって納得してくれたイェガーさんに私たちは感謝しつつ、はい、ヒンメルファートよ!などと調子を合わせていた。
冗談好きだったイェガーさん
イェガーさんは不愛想だったが、冗談はよく言った。残念ながら私には、それがよくわからなかった。彼女の話し方が明瞭でなく、聞き取れなかったのである。
特にスイスドイツ語(スイスで使われているドイツ語方言。地域によって異なる)になるとお手上げで、それを避けてもらうために私は標準語で話しかけていた。それでも方言で答えが返ってくる。スイス人の同僚はよく笑っていたが、私は曖昧な笑みを浮かべるだけ。
そんな中、私が理解したジョークが3つある。ひとつは「薬屋の半分!」というのだ。
さまざまな病気を抱えていたイェガーさんは、毎日大量の薬を服用していた。「お薬ですよ~」と持っていくと、イェガーさんのセリフは必ず「薬屋の半分!」だった。薬屋で売られている薬の約半分はあろうかというほど、こんなに大量の薬を飲めっていうの、という意味だ。
2つめは、「あなたの髪と、わたしの髪で、バーゼル市」というのだ。バーゼル市の紋章が白地に黒い杖というデザインなのだが、イェガーさんはそれをなぜか髪の毛の色で連想したのである。私のみならず、タイ人の同僚もこのジョークの対象となった。あまりに何度も言われたので、「あなたの髪…」を聞いただけで笑ってしまう。すると、「あ、これもう聞いた?」と、真顔で言うのだった。
あとのひとつが、「ブシじゃないんだから」。ブシは武士ではなく、バーゼル方言で、赤ちゃんという意味である。
イェガーさんは就寝が遅い方だった。自分で何でもできるならまだしも、イェガーさんのように全介助が必要な人がいつまでも起きていると私たちの仕事が片付かないので、ついつい本人の希望に反してさっさとベッドに送りたくなってしまう。
というわけで、共同スペースでテレビを見ているイェガーさんをなだめすかし、8時ごろ部屋に連れていこうとすると、「ブシじゃないんだから」とよく言われた。赤ちゃんじゃあるまいし、なんでこんなに早く寝ないといけないの、という彼女なりの抗議だったのだ。
そういえば、あとひとつジョークがあった。
「やっと生理が終わって、ナプキンから解放されたと思ったら、今度はオムツかい」!
幼なじみのご主人と
入居後も、ご主人は毎日やってきて一緒に食事し、二人の時間を過ごしていた。骨太のイェガーさんに比べ、ご主人は華奢な体つき。何も知らない人は、あの二人が夫婦だと決して思わないだろう。それでもイェガーさんはいつもご主人を探していたし、私たちがトイレの時間ですよといって迎えに行くと、まだここにいたいと駄々をこねた。
聞けば、イェガーさんとご主人はご近所さんだったそうな。お向いの家に住んでいたご主人とは、小学生からの幼なじみだという。のちに結婚して、子どもは3人。今も毎週オンラインで家族会議をしている。
女らしい部分がほとんどないのに、女の幸せはちゃんと味わってきたのだと、バツイチの私は感じ入ったものである。
やがて体で抗議するように…
清拭(入居者の体を拭いてきれいにすること)をすると、「もういい!」と吐き捨てるように言っていた。特に性器や乳房の下は極端に嫌がった。こびりついた便を拭いていると「やめて!」と言われた。
オムツ交換のためにベッドで体を横転させると、げんこつで叩いたり、手にかみついたりするようになった。私たちも徐々に面倒になり、イェガーさんのお世話はどんどん簡略化されていった。
けれども。イェガーさんは私に対し、決して攻撃的にはならなかった。私は決して彼女を乱暴に扱わなかったから。いつもイェガーさんの反応を見ながらお世話し、特に足はそうっと動かすように注意を払っていたから。
力まかせに体を動かされたり、痛む足を強く持ち上げられたりすれば、誰だって「痛い!」と声をあげるのは当然だろう。しかし「そうでしょうね、痛いでしょうね、でもこうしないといけないの!」と正当化し、手を止めない人が残念ながら多い。「あなたは重いんだから、しょうがないの!」と面と向かって言う人さえいる。
むしろ私がこういう場面で謝ったり、済まない気持ちを口にすると「あなたが悪いんじゃないんだし」と言われる国なのだ。
バトルが展開された後でも、湯たんぽを用意してあげれば機嫌を直し、大事そうに胸に抱えて寝入るイェガーさんだった。
お世話を終えて部屋を出ようとすると、いつも「おやすみなさい、時間があったらね!」と言ってくれた。(おわり)
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おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。