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スイスで介護ヘルパー!その15「鬼ババア!?いや、そこまでは!ミューラーさん(第六話)」#入居者さんの思い出

 (第五話からの続き)


ご自分でも気づいていらっしゃる?

 ミューラーさんは、私たちの動向を細かく知りたがった。今日は誰が何時に来る、勤務は何時まで、ほかに誰がいる、夜勤は誰が来る等々。
 そしてお世話中に、私たちがやむを得ない理由で部屋を離れたりすることをひどく嫌がった。ほかの同僚を手伝う、電話が入るなど、お世話の途中だが一瞬いなくなることは残念ながらあることで、ほかの入居者さんは理解を示してくださる。
 が、ミューラーさんは戻ってくるといつもご機嫌を損ねているのだ(ある同僚など、ミューラーさんを部屋に待たせているからと、あせって慌てた挙句に、ある入居者さんと廊下でぶつかった。結局その人は歩けなくなり、それ以来車椅子になってしまった)。

 ある夜、「今日はこの後、あと何人残ってるの?」と聞いてきた。ミューラーさんはもともと就寝が遅めで、いつも8時半に来てと言っている。遅番勤務は9:45までで、ほかの入居者さんはたいてい7時か8時には床につくので、ミューラーさんはいつも最後だ。

「もう誰も残ってないですよ。ミューラーさんが最後ですから、時間はたっぷりあります」喜んでくれるだろうと思ってそう言った私は、次の瞬間、実に意外な反応を耳にした。
「へえ。いちばん最後に、いちばん面倒なのが残ってるの」!

 ミューラーさんは、知っていたのだ。自分が面倒くさい入居者だという自覚があったのだ!

 その口調は、なんだか冗談じみていた。私はつい笑ってしまったが、そこにはなかなか深い意味があると見た。それじゃあひょっとして心の片すみで、多少は「申し訳ない」なんて思っていたりすることもあるんだろうか?
 

ぎこちない「ご苦労さま」


 ここまで書いてきて、思い出した。

 夜、いつもではないが、無事にお世話を終えることができた日には、おやすみの挨拶のあとで「ダンケ・フューア・イーレ・ミューエ!」と言ってくれたこともあったっけ。あなたのミューエに、ありがとう。ミューエというのは「苦労、努力、骨折り」と辞書にあり、まあ日本語の「ご苦労さま」といったところか。
 ただ、その「ミューエ」を言う前、ミューラーさんはいつも微妙に間をあけた。ウムラウトだから、発音しにくかった?いや、それより慎重に言葉を選んでいるというような、そんな間だった。要するに、いつものミューラーさん節とは異なるトーンなのである。

 その言葉が出てくるのは、いつも最後の最後だった。
 

ありがとうございました

 ミューラーさんは、100歳を過ぎて、お亡くなりになった。

 そして私は喜んだ、なんてことはもちろんない。でも正直、悲しくて悲しくてしょうがない、ということはなかった。
 複雑な心境が入り混じってはいたが、最終的にはやはり安堵のようなものをおぼえたことを、認める。かなり骨の折れるプロジェクトを成し遂げた後のような、達成感に近かったかもしれない。

 それでも。数年たった今でもこうして長文が書けるほど、ミューラーさんのことは実によく覚えている。私の記憶の中には様々な場面が残っていて、ことあるごとに思い出している。つい先日も、新入社員に語ってしまった。

 これだけは言える。ミューラーさんに鍛えてもらったおかげで、その後はどんな入居者さんも楽勝なのだ。早いうちに経験できたことを、ある意味、感謝さえしている。

 ミューラーさん、ありがとうございました。(おわり)

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おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。