スイスで介護ヘルパー!その17「少女のようだったフーバーさん(第二話)」#入居者さんの思い出
(第一話からの続き)
経験のない私がしたこと
介護ヘルパーの資格を取ったばかりで職場経験がなかった私は、シュヌッパーとはいえほとんど見学しているだけだった。向こうもそれを心得ていて、私にやらせるというよりは、まるでもう採用が決まったかのように、いろいろ説明してくださる。
それで、私がその日実際にやったのは、ゴミを捨てに行く等といった雑用、そして食事介助だった。
シュミットさんの記事(その5を参照)にも書いたが、食堂から少し奥まったところにもうひとつテーブルがあって、介助が必要な入居者さんはそこで食事をする。フーバーさんも、そこにいた。
体が小さいので、私を見上げるように向けてきた、フーバーさんのまなざしを思い出す。芯が強い女性、というのが伝わってきた。
フーバーさんはロシア人!?
初めてなので、お互いに自己紹介をした。私からは名前や出身、今日はシュヌッパーであること等を伝えたと思う。とはいえ、こういった情報はすぐに忘れられてしまうものなのだが。少なくとも「顔なじみ」にはなれる。
フーバーさんはその時、私にロシア語で挨拶してきた。こんにちはを意味する、Здравствуйте!を言ったのだ。その場面が印象的で、その後しばらく、私はフーバーさんがロシア人だと勘違いしていた。そして後日フーバーさんが、「私はスイス人よ」と訂正してきた。あの日は結局、スイス人にありがちな、できる言語を披露したがる癖が出ただけなのだった。
では何故、一見して東洋人であることが明白な私に対し、ロシア語で挨拶してきたのか。
まず「何語ができますか」の質問に対し、私が「日本語、イタリア語、ドイツ語、英語」と答えた。そしてフーバーさんから「フランス語は?ロシア語は?」などという追加の質問が飛び出し、私が「フランス語とロシア語は、挨拶ならできます!」と答えたことが発端だった(NHK語学講座が好きな私は、テレビでぼんやりと見ているうちに挨拶だけ覚えてしまったのだ)。
では何故、ロシア人のようなはっきりとした顔立ちやゴージャスな体形からはほど遠いフーバーさんを、ロシア人などと勘違いしたのか。
私はシュヌッパー中で、緊張していたのだと思う。それに何人かの入居者さん情報を一気に入れたことで、誰が誰だか、混乱してしまったか。
いや、それともただ単に、私がよく考えもせずに勝手に思い込んだか。それがいちばん考えられる。
だってあの日、介助テーブルにいた入居者さん一人一人が、名前や出身地、できる言語などをきっちり述べてくれたとは到底思えない。適当に拾い集めた情報はあったろうが。そもそもフーバーさんが「私はロシア人よ」と言っていた記憶もないのだ。私が当時、いかに冷静さを欠いていたかを考えると、呆れる。
とはいえ言い訳が許されるなら、スイス、特にバーゼルは、住民の3割が外国からの移民。なのにドイツ語がわからないと、独特のアクセントにも気づかず、最初の頃は「白人イコールスイス人」と大雑把に判断していた。
ご近所さんとドイツ語で話していて、あとから彼女がトルコ人とわかった時の衝撃は大きかった。今になって思うと、顔は思いっきりトルコ系だし、アクセントも今ならすぐに気づくのに。
やがて移民が多い事実を知り、ドイツ語もだんだんわかるようになり、スイスドイツ語(方言)も意識するようになると、「この人は、標準語と方言を混ぜている」「バルカン系だが、ここで育った人だ」などと判るようになる。当時の私は、この段階だった。
それで、よく考えもせずにロシア人だと早合点してしまったのかもしれない(例えばうちの娘、顔は日本人だが、いきなりスイスドイツ語やイタリア語を流暢に話して、よく驚かれるので)。
個性豊かな、介助テーブルの面々
あの頃あのテーブルにいたのは、フーバーさんのほかにシュミットさん、激しい二重人格のアーノルドさん、イギリス人で気弱だったスミスさん、全身が硬直していたフックスさんなどなど。
フックスさんは半身不随、お話もできず、100パーセント全介助の方だった。テーブルにいる時も食べようとはせず、両手はスプーンを持たせていないとこちらの手をつかんできて、介助が難しかった。
フーバーさんとスミスさんは食が細く、端から促してあげないとまったく箸が進まない(いや、箸じゃなくてフォークですね)。
アーノルドさんは自分ひとりで食べられるのに、介助テーブルにいた。というのは、ふだん穏やかな笑顔で物腰やわらかなのが、ふと豹変する。表情が変わって、うつむいてブツブツと言っている時、ビックリするような暴言を吐いているのだ。
初めてアーノルドさんを担当する前に、「ひどいこと言われても気にしないように」と予告されていた。が、「この、バカ牝牛が!」などという罵り言葉を当時は知らなかった。言われてもまったく理解できず、よって傷つくこともなかった(聞き取れるようになった頃には、すでに慣れていたので問題はなかった)。
このアーノルドさんがテーブルで「バカ牝牛が!」とつぶやくたび、シュミットさんは爆笑した。さらに何度もリピートして、反芻しては笑い続けていた。私もつられて笑っていた。ほかの方々は耳が遠くて聞こえないのか、無反応だった。
そして席が近かったフーバーさんは、アーノルドさんの罵りに、毎回じろっと非難のまなざしを向けるのだった。
そう、フーバーさんは最後まで頭がしっかりしていた。声はかぼそかったが、普通に会話をすることができた。
そしてフーバーさんとお部屋で話したりお散歩したりするのが、私のお気に入りの時間となった。(第三話へ続く)
おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。