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スイスで介護ヘルパー!その5「シュミットさんからのプレゼント・第三話」#入居者さんの思い出

(第二話からの続き)


力つきる前に言ってくれたのは


 そんなシュミットさんも、ついにコロナに倒れた。食べられなくなり起き上がれなくなると、ターミナルケア(終末期医療)となり、まだ新米だった私は部屋に入ることを禁じられた。なのに誰もいないのを見計らって、一度こっそり入ってしまった。

 ベッドには、何もできず寝ているだけのシュミットさんが。丸々としていた顔は、すっかりやせ細っている。私はいつも通り「ハロー、ジョージ!」と元気よく挨拶したが、反応はなかった。

 唇がガサガサだったので、とりあえずお水を飲ませてあげたい。けれど半分寝ている、動けないシュミットさんに飲ませるのはかなり難しかった(ターミナルになったら、水を含ませたスポンジで唇を湿らせるだけ。何も飲ませてはいけない。当時の私は、それを知らなかった。だから入室を禁じられたのに)。

 やっとのことで飲ませたら、今度はお決まりのゲップが出た。私がまた例によってつい笑ってしまったところへ、シュミットさんの口が動いた。

 え?聞き取れなかった。シュミットさんは、くりかえした。・・・ごめんなさい、わかりません。弱々しいかすれ声で、シュミットさんはもう一度くりかえしてくれた。

「・・・トイレに、行け・・・」3度目に、やっと聞き取れた。

ジョージ!死ぬ間際に、力をふりしぼって言ってくれた!目もほとんど開けていないのに、私だってわかってくれた!
 こんな場面でのシュミットさんのジョークに、ついあはは、と笑ってしまった私は、次の瞬間ぐっと切なくなった。
 

シュミットさんからのプレゼント


 それまでの私は、仲良くなった入居者さんが亡くなると、いちいち泣いていた。同僚に叱られたこともある。
「でも私、〇〇さんが大好きだったの!」と言う私に、「みんな好きなの!いちいち泣いてちゃ仕事にならないの!」と容赦がなかった。

 あの頃の私は、「ああ、このおばあちゃん大好き!」となる次の瞬間には必ず「お願いだから、長生きしてほしい」という切実な想いが湧いてくるのだった(実は今もそんな感じ)。亡くなってしまったらどうしようと、不安になった。そしてその最大の不安の相手が、シュミットさんだった。だから、禁じられてもお部屋に入ってしまった。
 
 だから、シュミットさんが亡くなった時も、ただ信じられなかった。コロナで忙しい時期だったのを幸い、できるだけ考えないようにしていた。
 しかしその後、クラスターが収束しても、実感はわかず、私は泣かなかった。シュミットさんのことを忘れたわけではなく、よく思い出してはいたが、涙は出なかった。
 
 これは一体どうしたことだろう、自分で自分に驚いていた。誰よりもたくさん話をしたジョージ、食堂でも廊下でも、いつも私を見つけて手を振ってくれたジョージ。これほど仲良くしてくれる人は、もう現れないだろうとまで思っていたのに。実際は、涙一滴落としていない。
 あんなにいちいち泣いていた私が、よりによってシュミットさんの死に遭って、打撃を受けていないというのは?
 
 あれから3年以上たち、悲しい別れはその後も何度かあった。が、不思議なことにうまく消化できている。少なくとも、おいおい泣くことはもうしていない。

 そして今は、こう思う。シュミットさんが、こんな形で私を応援してくれたのだと。得難いプレゼントをしてくれたと、今は感謝の気持ちでいる。(おわり)

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 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。