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スイスで介護ヘルパー!その13「鬼ババア!?いや、そこまでは!ミューラーさん(第四話)」#入居者さんの思い出

 (第三話からの続き)


不可解に映るジャパニーズスマイル

  
 私は日本人なので、何か間違いを指摘されると、つい「あ、間違えちゃった」と笑ってしまう。これは日本人特有なのだろう。深刻な場面や重大なミスならともかく、ミューラーさんに指摘された場合はとにかく悔しいから、意地でも反省顔をしたくない。笑ってごまかすつもりはないが、「まったくドジだなあ、私」ぐらいの感覚で笑う。そしてまた気持ちも新たに頑張ろうと思う。
 ところが、そのジャパニーズスマイルがミューラーさんの気に食わない。「なんで笑うの、全然おかしくない。何がおかしいの?」と冷たく言われてしまうのである。

とうとう、ブチッと音を立てて切れる


 ある日の遅番。ミューラーさんの夜のお世話の開始5分ほどで、いきなり叱責をいくつも喰らってしまったことがあった。私も注意力が足りず、ミスを重ねて悪かった。

 が、しかし。実際は、たいしたミスではない。確か、先に目薬をさすべきなのに忘れていたとか、まず靴をスリッパに履きかえるのに靴のままだったとか、その程度。すぐに指摘が入るので、すぐにやり直せる。そんな深刻な事態になりはしないのだ。
 だが、その日はたまたま3つもミスを重ねてしまって、「あれも間違い、これも違う。今日のあなたは、まったくダメね!」とのたまったおっしゃった。
 ・・・とても笑えず、私は黙り込んだ。

 そもそもである。こんな面倒なお方、担当さえできない人が大勢いる中、私はあえてお望み通りにしてさしあげているのである。ほんの少しの、感謝の気持ちというものはないのだろうか?
 ほかの入居者さんは、おしりを拭いてあげたら「ありがとう」、オムツを履かせてあげたら「ありがとう」、もう何から何まで感謝してくださる方もいるというのに! ミューラーさんは、自分がいったい何様だと思ってらっしゃるのだろうか!?

 その夜は、とうとう堪忍袋の緒がプツン、と音を立てるのが聞こえた。ちぎれた緒の先は、ほころびてボロボロだ。
 私は頭に来ると、相手の目を見ることができなくなる。顔をそむけたまま、必要最低限のこと以外ろくに口もきかず、無言、無表情で仕事をこなした。とにかくベッドに入ったのを見届けて、部屋を出た。フランス語の挨拶も、当然なし。

 というのは、ミューラーさんはスイスドイツ語を問題なくお話になるが、フランス語で対応されればやはり嬉しいのである。私は知っている表現を総動員してさしあげる。「ボンジュール(こんにちは)」、「サヴァ(お元気ですか)」、「アトタラ―(またあとで)」などは言えるので、これがまあ、私がミューラーさんにしてあげられる最大のサービスだった(はっきり言って、ほかの入居者さんにはもっと優しくしています。私だって人間なのだ!)。

 でもとにかく、その夜は心の底から怒りが燃えたぎっていたので、フランス語はおろかドイツ語の挨拶さえそこそこに、その場を去ったのだった。
 
 ああ、それなのに。翌日の夜もまた、ミューラーさんの担当を言い渡された。担当組は多くないから、断ることができないのだ。仕方なくまたお部屋に向かった。

 ミューラーさんは私を認めると、ちょっとたどたどしくおっしゃった。「昨日、私、あなたにあんまり優しくなかったわね」。
 「え、そうですか?」。私はすっとぼけたが、心の中で毒づいていた「あら、ミューラーさんが誰かに優しかったことなんてあるんですか!?」。

 それでも、お仕事なんだから仕方ない。そのままお世話を続けた。私も気をつけていたが、ミューラーさんも多少気を遣っていたようで、その夜はご叱責がまったくなかった。

 最後のほうは私も機嫌を直し、いつも通りにふるまうことができた。「ボンニュイ(おやすみなさい)、オヴワー(さようなら)、アドマン(また明日)!」と、知っている挨拶を惜しげなく連発してさしあげた。
 ミューラーさんが「ブラボー!」と叫ぶのを聞いて、ドアを閉めた。
 

言葉ができれば、なんて単純なものじゃない


 今になって考えたのだが、当時もうちょっと私がフランス語で対応してさしあげていたら、ミューラーさんも少しは態度が軟化していたかもしれない。毎回新しいフレーズを言ってあげていたら、きっと喜んで私の努力を認めてくれていたのかも。

 実は今、ミューラーさんが亡くなって数年がたち、気がつけばフランス語が達者なスタッフが何人もいる。ここのみならず介護業界はどこも入れ代わりが激しいそうだが、今はたまたまフランス語話者がそろっているのだ。もし、彼らがミューラーさんを担当していたら・・・。
 いや、フランス語ができるだけではとても太刀打ちできないのが、ミューラーさんなのだ。

 むしろ、大変だったかもしれない。というのは、ミューラーさんにとってスイスドイツ語は外国語であり、完璧ではなかったから、言えることも一応限定されていたのである。もちろん、やわらかい表現を知らなかったために直接的なきつい言い方になり、私たちの心は、時にズタズタにされたけれど。それでも要求はエスカレートせずに、多少のブレーキがかかっていたは
ず。

 これがもし母国語のフランス語で言いたい放題だったなら・・・想像するだけでも恐ろしい。(第五話へ続く)

 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。