食と向き合うと、わけがわからなくなる。でもそれでいい。“Don't Think, Feel!”
これを書いているのは2024年1月6日の土曜日。8日の祝日まで連休の人も多い。僕もその日までは仕事を休んでいるけれど、時間があるこの間に、昨年思ったことや、今年やりたいことを整理しておこうと思う。
僕自身、ここ3、4年は「どうやって食べていくか」という問いと向き合ってきた。日本人は食べることには、たいてい恵まれている。都市部にある飲食店では世界中の料理が提供され、全国各地の食材やおみやげを買うことができる。インターネットで各地からお取り寄せもできる。冷凍食品、コンビニ、自動販売機の便利さに、僕らはもういちいち驚かない。
こんな感じで、食べものはますます「消費するモノ」になっていく。経済性の中で、いかに合理的かつ効率よく食べものを生産し、利益を生み出せるか。いま食べものの在り方は「モノ」としての価値がめっぽう強い。
ここで経済学について考えてみる。経済学(economics)の語源といわれるオイコノミアを「共同体」として解釈すると、共同体に欠かせない食の本質は経済学から紐解くとおもしろいのかもしれないんじゃないか。そういえば、食と農の歴史学者である藤原辰史さんは以前、食品ロス問題は「経済の問題だ」と話されていた。
クリックひとつでたいていのモノが手に入る時代。食べものもそうだ。まるでドラえもんの秘密道具「グルメテーブルかけ」のように、望んだ食べものが目の前に現れる。だれがどうつくった料理かは関係ない。簡単に舌で感じる刺激としてのおいしさと満腹感を得られればいい。食べることに時間やお金をできるだけかけたくない。
おいしい料理がいつでも、いくらでも食べ放題となれば、そこに自制心がないと肥満へまっしぐらだ。「グルメテーブルかけ」は食べることのハードルを下げることで便利さを手に入れられる。引き換えに、食べることを自分の頭で考えることを放棄させる。コンビニ、ファストフード、デリバリー、自動調理鍋、3Dプリンター。このまま行くと人はいつしか本当に「グルメテーブルかけ」を発明するのかもしれない。それはそれですごいことだ。
社会・環境問題による「食べること」への影響、そしてAIやIoTが象徴するテクノロジーの加速的な発展による食生活の変化。食の可能性を広げるとともに、失うものもある中で、だれも食のことは教えてくれない。お金や保険のことは大人になると学びたくなるのに、ほとんどの人が食との向き合い方は学ばない(だから「フードスコーレ」を創設したわけですが)。たしかに秘密道具は便利だけど、その道具との向き合い方は意識しないとね。だからこそ、「この先ぼくたちはどう食べていくか」は大事な問いなんだと、拡声器を使って叫びたい。
さて2024年。「どう食べていくか?」に対して、いろいろと実験をしていこうと思う。この実験は、基本的には株式会社honshokuと一般社団法人フードサルベージで行いながら、会社の事業という枠に囚われないように、つまり稼ぎも考えながら、それだけを求めないやり方を模索しながら進めていきたい。
さいごに。ちょっとちがう角度の話を。
2022年10月ごろから2023年10月ごろまで、気分が落ち込み、仕事や私生活で思うように行動ができなかった。何をするにも意欲が湧かず、頭が働かない日が続いた。それでも仕事をして稼ぐことで生きていかないとならないから、周りには普段通りの自分を見せながら過ごしていた。そういう気持ちと行動のギャップが、より自分を苦しめた。
そうなった本当の原因は今でもわからない。仕事がうまくいかなかったりすることもあったけど、そういうことはこれまでもあったわけだし、それだけが原因とは思わない。いろいろなストレスや不安が積み重なった結果なんじゃないかという結論に落ち着いている。
この間、ぼーっとする時間があったり、急に不安に襲われたりして日中に仕事ができないこともあった。急に夜中に2時間くらい家の周りを散歩して自分を落ち着かせたりもした。家族をはじめ、まわりの人には本当に心配をかけた。40代半ばになり、更年期障害かな?とも思ったけど、とくに病院には行かず。昨年の11月くらいからようやく復調。いまは落ち着きを取り戻して、生活できている。
この復調には、明確な理由がある。自分と同じような状況になった人のために、どこかで詳しく書けたらと思うけど、簡単に書くと、
家族や仕事で出会う人との距離感を変えた(これまでより近づいた、より離れた)。本音と建前を持つ。身体を動かし続ける。おなじ環境にだけ居続けない etc.
こんな感じ。だれにも効くことではないと思うけど参考までに。本当はここまで書くつもりはなかったけど、昨年を振り返ると外せないことだったので。
こういう状況のときも「食べる」ことは疎かにしなかった。自分や妻の生活ペースを大事にしながら、日々の食事を取っていた。やっぱり食って大事だなと実感した時期でもあった。
食って哲学だ。食と向き合えば向き合うほど、いろんな価値観や他領域との相関性があって、わけがわからなくなる。でもそれでいいと思っている。食べるために生きているのか、生きるために食べるのか、とかどっちでもいい。もっとわけのわからない人間になろう。そうして複雑な人間になることが、おもしろさをつくっていくんじゃないか。それだけ「食」は懐が広い。食べ方の価値観をシンプルにして、「答えはひとつ!」みたいにはしたくはない。
前述の「2024年にやりたいこと」は、自分にとっておおきな挑戦だけど、取り組めることにいまからワクワクしている。これはひとりじゃできないことなので、たくさんの方に助けてもらうつもりです。
というわけで(どういうわけだ)、本年もよろしくお願いします。
“Don't Think, Feel!”
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